波留は顎に手を当てて少し考え込むような素振りを見せている。あの時点でのソウタに多少思いを馳せている様子だった。それを久島は眺めやっていたが、口を再び開く。
「話を続けていいかな?――ともかく彼にその区画を調べて貰ったら、あるダイバーが託体ベッドの上で脳を焼かれて死んでいたよ」
「…そうか」
 久島の口から放たれた端的な表現に、波留は俯く。伏目がちに短く呟くように答え、手の中で缶をなぞった。缶の中身は殆ど消費されておらず、冷たい液体の感触が薄い金属越しに感じられる。
 外見上は白髪の老人である親友から久島への視線が外される。久島は車椅子の彼を見下ろしつつ、説明を淡々と続けていた。
「リアルでは私の義体を奪い返されメタルではダイバーに経路を辿られた事により自暴自棄に陥ったのか、それとも追い詰められた時のために前もって仕込んでいたのか、或いは第三者に仕込まれていたのか。事情は知らないが、ともかく自殺用の脳死プログラムが走った結果だ。そしてメタルに経路を伸ばしたままの施行だったため、自分を焼くだけではなく彼が接続していたサーバ周辺の海にもプログラムが暴走したらしい」
 何者かに脳核を押さえられたならば、自分の意思など無視して脳から直接情報を奪われる事すら可能なのが現在の技術レベルである。そのために自らの持ち得た記憶や情報が自らの命よりも大切に考える人間は、それらを自分の自由に出来なくなった時点で脳核ごと破棄しようと言う結論に至る事もある。
 その手段は脳幹埋め込み式のコーテックス爆弾などにより物理的に脳核を破壊する方法もあれば、メタル経由で脳に高圧電流をフィードバックするプログラムを脳内に常駐させておく方法もある。それらは当人もしくは外部からの電子信号によって起動を制御される共通点を持つ。
 ともかく彼らは情報隠匿のために死を選ぶのであり、それは何時の世も合法ではなく倫理的にも許される事ではないのだが、現代においてもある種の人間達には根強く残っている考えと手段でもある。今回の相手もその思想に冒されていたらしく、更に始末の悪い事にそれが甚大な被害をもたらす所だった。
「背後関係は?」
 波留は俯いたまま、短く問う。それに久島は腕を組んだまま、軽く肩を揺らした。その表情に少しだけ笑いの成分が表れる。
「さあな。私は過分な立場だから身に覚えはない訳ではないし、悪戯にしては色々な意味でやり過ぎだとは思うが、どうだかね」
 久島は少し唇を吊り上げて笑いつつも、眉を寄せていた。彼にとっては全く楽しくはないが、笑うしかない話だった。
 電理研統括部長ともなれば、人工島を支える立場の人間のひとりである。テロの対象となってもおかしくはない。更には彼はメタルの創始者でもあり、アンダーグラウンドのダイバーならばそんな人間をどうこうする事に歪んだ面白みを見出すかもしれない。
 可能性は色々と考えられる。久島はその思考実験に、自分にはこれだけ「敵」が居たのかと思い知らされていた。
「あまり大袈裟にしては電理研としても困った事になるので、それとなく諮問委員会に情報を流した所だ。彼らとスポンサーの利害に適う事ならば、勝手に調査して利用するだろう。そうでなければ何もなかった事になる。どちらにせよ、もうこの件は私の手を離れた」
 誘拐されかけ、自らに命の危険が迫り、必要に迫られたとは言え実際に自らの義体を半壊させる羽目になった。更には親友を脳死プログラムの前に晒した。――そんな事件だったと言うのに、何もなかった事にされるかもしれない。
 これは久島にとっては正直の所、面白くはない事態だった。しかし、しがらみの中ではどうしようもない。地位が高いからこそ自分の自由に出来る事は実は少なくなる。だから彼は笑うしかないのだ。
  
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