「――で、どうなっているんだい?」
 不意に波留は久島に話を向けた。その時には彼の顔から笑みは消え、真面目な表情となっていた。彼は結局ビールは一口飲んだだけであり、酔いが回るような事にはなっていない。明晰な視線が久島と合う。
 ここは電理研内における久島のプライベートルームである。統括部長である彼は生活の殆どを電理研で過ごさなければならない。そのために、プライベートルームすら電理研内に間借りしている。それでもここを利用出来る日数などたかが知れていた。最近では専らダイブ後のメディカルチェックなどで電理研を訪れた波留と語らうために使っている。
 久島のプライベートルームだけあり、完全防音は勿論の事、彼の意思で外部からの電脳通信も遮断出来る。そのために外で話すとまずい事をここで会話したとしても、第三者に知られる可能性はほぼゼロに等しい。
 今回の波留のダイブは電理研の正式な依頼ではなく、更には公共交通システムのクラックなどの軽微とは言え少々微妙な手法も使っている。そのため、ふたりは今回の一件についてはここ以外で口に出したり通信する事は控えていた。
「ああ…――」
 波留の表情の変化に、久島も自らの表情を引き締めた。腕を組む。親友との親交を深める事は、この50年間とは違って今の彼らには何時でも可能である。今回はとりあえず本題に入る事とした。
「――あの後、君が回収した糸のログと潜った地点のログとを解析し、更に私が所有している電理研契約ダイバーリストと照合し、侵入者の所在を絞り込む事に成功した。翌日朝にはその付近に蒼井君に足を運んで貰った」
「彼と言えば――大丈夫だったのかい?彼も彼で酷く参っていたようだが」
「君の事務所に来た当初はあのお嬢さんに訊かれなかったから私も敢えて触れなかったんだがな…まあ、一晩休息を取ったら大丈夫だったようだよ。生身にあの操船は堪えたんだろう」
「ならいいんだが…」
 久島奪還後、波留の事務所へと戻るホロンのボート操船は、本当に短時間で波留の事務所に辿り着く事を最優先事項としていた。すなわち、乗員の安全は二の次どころではない程に何処かへ押しやられていた。
 その結果、完全に生身であるソウタは、事務所前の桟橋に到着した時点で轟沈状態に陥っていたのだ。完全義体である久島ですら脳が揺られた事により少々眩暈を覚えていたのだから、ソウタの状態の凄まじさは傍証されている。しかしこれもまたアンドロイドが人間から与えられた命令を忠実に遂行した結果のため、久島達はホロンを責める気にはなれなかった。
 ともかくソウタはそう言う状態だったために、波留の事務所には行かずにボートで休んでいた。そのために、彼は久島達と一緒に事務所に戻ってこなかったのである。
 妹であるミナモから指摘が全くないために、波留の事務所に来た当初は久島もソウタの名誉も鑑みて敢えて触れてはいなかった。そしてリアルに戻ってきた波留への対処がひとまず終わり、頭痛がある程度落ち着いた彼がひとり足りない事を怪訝そうに言った所で、事態はようやく明るみに出た。そう言う事情があった。
  
[next][back]

[RD top] [SITE top]