「私の扱いはともかく、君はもう少し自分を大切にしてくれ。安全安心――じゃなかったのか。彼女も泣いて心配したじゃないか」
 久島は相変わらず不機嫌そうな声で波留に言う。話を変えたが、その方向性はあまり変わっていない。
 波留は先日、メタル内にて脳死プログラムの暴走に巻き込まれそうになった。一旦は逃げようとしたが、暴走に追撃され間に合う気配もなかった。その結果、彼は最終手段に出たのだった。
 メタルからのログアウトは、通常手順では数秒のタイムラグを生じる。それはメタルからリアルへ意識を安全に移行するために、様々な手順が自動的に施行されるからである。しかしあの瞬間の波留は、その数秒を惜しんだ。結果、咄嗟に彼は強い思考をもって、メタルからリアルへ直接飛んだのだ。自らの電脳を守る防壁の類を、自らの意思で突き抜けてリアルに帰還した。
 そうする事で一瞬でリアルに意識を取り戻す事が出来るが、代償は大きい。メタルに標準装備である防壁を一瞬でも無効にする事により脳に多大な負荷が掛かり、ノイズやクラックが生じるのだ。最悪ブラックアウトを起こしかねない行為である。前時代や別の地域の電脳に喩えるならば、電脳に接続状態の中ケーブルを無理矢理引き抜くようなものだった。
 実際に今回の帰還直後、波留は頭痛に襲われた。意識はあるが託体ベッドに収まったまましばし動けない状態が続き、周りにいたミナモを心配させ久島は慌てて応急処置を行っていた。
 当初は暴走した脳死プログラムにやられたかと思っていたが、ログを読み込んだ所、実は波留自身の無謀な行為の賜物だと明らかになり、以来久島は不機嫌になっていたのだった。
「――やっぱり色々と怒るんだなあ。君は」
 波留は苦笑気味に言う。自分の身がどうこう以前の問題として、実際にミナモを泣かせてしまった彼には少々分が悪かった。あの行為を取らなければ確実に死んでいたとしても、実際に流された少女の涙の前には敵わないものがある。
 親友からの追撃から逃れるように、自らの手元を見た。手渡された缶がそこにある。彼はそれを手の中で転がした。缶に印刷されているデザインを目を細めて見やる。
「懐かしいな。この銘柄はこの時代にもあるのか」
 波留の声と表情を見て、久島は相好を崩した。自然に笑みが零れてくる。今までの感情は置いておいて、とりあえず親友が喜んでいる事実に目をやる事とした。
「息が長いメーカーだろう?」
「君は飲まないのか?」
「今の私にはそれは飲めない。全身義体だからな」
 久島のような全身義体の人間やアンドロイドのような完全人工物には、普通の人間と同じ飲食物の摂取は不可能であった。外見は人そのものであっても、その辺りは現在の技術力でもまだまだ近付ける事が出来ていない。
 もっともアンドロイドが一般に普及している世の中でもあるため、人工島では彼らに合わせた飲食物が生産されている。見た目上は何ら人間が摂取する飲食物と変わらず、それらはそれなりの規模のスーパーや飲食店では並列されていた。義体にとって食事は生命維持には必要ではなく完全にフレーバーとしての存在なのだが、彼らを「人」足り得るためには必要な行為のひとつとして擬似的に体験出来るようになっている。
「義体用のビールだってあるだろう?」
 波留のその台詞に、久島は肩を竦めた。口元には微笑を浮かべ、肩を揺らして溜息をついて見せた。残念そうに言う。
「にしても、私はまだ勤務中の身の上でね」
「成程。では、僕だけ失礼するよ」
 はにかむように笑い、波留は膝の上で転がしていた缶を自分で開けた。軽く一口つける。懐かしい味が彼の口の中に広がった。自然に彼は嬉しそうな表情になる。そんな彼のリアクションを見て、久島も笑っていた。
  
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