電理研は人工島の海底区画に存在している。この区画はまるで地上にそびえ立つビル群を逆さにしたような状況になっており、ビルが海底に向かってそびえている。窓の向こうは海中であり、周りをリアルの魚が泳いでゆく光景は職員にとって見慣れたものであった。
 人工島を技術的に支える電理研は高層ビル部分だけでも数棟に分かれているが、その中でもあまり人通りがない付近の廊下を波留は進んでいた。リアルの彼は歩行不可能な老人であり、今も車椅子に腰掛けている。
 この人工島では一般的となっている電脳制御の車椅子なので独りでも行動は可能なのだが、背後では白衣の男が車椅子を押していた。傍から見るとまるで老人の父と壮年の息子のような絵面だが、今の人工島では外見では人の年齢は判断出来ないものだった。
「――どうやら、メディカルチェックでは大丈夫だったようだ」
「それは良かった」
 車椅子を押す久島が告げると、波留は前を向いたまま微笑んで答えた。先程行った波留の検査の結果が、たった今メタル経由で久島の元に届いたのだ。
 会話しつつも久島は歩みを止める事無く車椅子を押し続ける。最中、少し眉を寄せた。正面を向いたまま言う。
「あまり無茶はするなと前も言ったろう」
「君はまた僕を怒るのか?」
 笑みを含んだような波留の声に、久島は溜息をつく。正面を向いたままの久島には波留の現在の表情は見えないが、声の調子からして波留に反省の色は感じられなかった。これ以上何を言っても無駄だと久島は感じ、黙り込む。
 それからは沈黙したまま、ふたりは廊下を進んでいく。会話だけではなく、ふたりとも電脳通信も一切行っていない。進んでいくに従って廊下は徐々に薄暗くなる。いくつもの枝道を経て廊下の幅は細くなり、そのうちに人通りも全くなくなった。
 彼らが進んで行った細い廊下の突き当たりには変哲もない扉があった。普通の片手扉サイズの扉である。久島は片手を伸ばし、扉の傍にある壁設置の認証パネルに掌を重ねた。するとパネルが光を発し、次いで静かな音を立てて扉が開く。
 そのまま久島は波留の車椅子を押して室内に入った。ふたりが入室した事で、室内の照明灯が自動的に起動する。生活灯レベルの淡い光が室内とふたりを照らし出した。そして背後の扉は再び閉まる。
  
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