久島の視界に、光が走った。次いで、衝撃が来る。 次の瞬間には、イカの足に引き摺られる格好で彼は洞窟から引きずり出されていた。その最中、不意にイカの足から力が抜けていく。触手上の足からも粘着力も失われ、水の中を突き抜ける久島はその勢いをもってしてイカから逃れる事が出来ていた。 朦朧とした意識の中、彼はメタルの海の深層へと吹っ飛んでいくイカを見る。その胴体には光を発するモリのような物体が深々と突き刺さっていた。どうやらそれは何処かから投げつけられたものらしく、その勢いでイカが飛ばされて行っているようだった。 イカは断末魔のように足を振り回しているが、その末端から徐々にぼんやりとした光に包まれてゆく。アバターとしてのデータが維持出来ない程のダメージが、プログラムに与えられたらしい。そのままイカは沈んでゆき、久島の視界から消えていった。 ダイバースーツではない彼は、メタルの水中で自由に体をコントロールする事が出来ない。衣服が邪魔をする。洞窟から吹っ飛ばされた今、足場は何処にも見当たらない。彼は喉に絡みつく糸を掴んで離さないようにしたまま、足を動かして水を掻き、何とかその辺りに留まろうとした。 そこを、がしりと掴まれた。背後から抱きすくめられる形で、きっちり確保される。 ――大丈夫か!? 久島の脳に通信が届いた。彼はハックにより回線を切断されていたが、通話者がメタル内で近接したために通話が可能になった。その通話者が誰かなどは、振り向くまでもなく久島には理解できていた。 ――波留か…。 ダイバースーツではない以上、口を開いての会話も出来ない。意識が朦朧としているために顔も上げられない。それでも何とか久島は親友の名を呼んだ。 ――すまない、電理研サーバの保安プログラムに引っ掛からないように慎重に泳いでいたので…手間取ってしまった。 思念に表された言葉からも、その思念自体からも、申し訳なさそうな感情が久島に伝わってくる。 波留は電理研委託ダイバーのひとりであり、正式に認可されたダイバーだった。しかし今回のダイブは依頼によって発生したものではない、電理研無認可のダイブである。そんなダイバーが電理研サーバの周辺を泳ぎセキュリティに引っ掛かっては、痛くもない腹を探られる事になりかねない。だから慎重に進むしかなかったのだ――久島はそれを理解していた。 ――元はと言えば私が蒔いた種だ。気にはしていない。 うな垂れたまま、自嘲気味に久島は微笑んだ。 彼は片手では首の糸を掴んでいるが、それ以外の力は抜いていた。後ろから抱き締められて確保されるままに任せている。俯き加減になっている彼の視界では、自分の片腕と両脚がメタルの海流にゆらゆら揺れていた。とにかく意識と体が重い。 ――…すまないが、この糸を切ってくれないか…この経路から伝わるプログラムが、私の脳を麻痺させているようだ。 ――判った。 僅かに片手を上げて糸を示した久島の頼みに明快に答えた波留は、久島の首に絡み付く糸を掴んだ。自らの腰にもう片方の手を回し、後ろ挿しにした短刀を引き抜く。そして糸に押し当て、切った。切断にはそれ程強い力は必要とはしなかった。 ――そんなもの持ってきたのか。 目の前で光り輝く短刀を見上げつつ、久島は言う。それに対し、波留は武器を鞘に収めつつ答えた。 ――まあな。君をハックした相手とメタル内で戦う事になるかもしれなかったから、攻撃プログラムを持ってきた。さっき、1本使ってしまったので、もうこれしかないんだが…。 ――物騒な事だ。危ない事はしないでくれ。 ――危ない事を回避出来れば問題はないが、そうも行かないのがメタルらしい。僕だってリアルの海ではあんなイカを殺した事はないと言うのに。 少し愚痴が混ざった波留の思念に、久島は薄く微笑む。糸が切れた事で攻撃は止まったらしいが、まだ脳が痺れていた。 |