「ハック――!?」
 今度声を上げたのは、ソウタの方だった。その勢いにミナモは押される。彼女には何故そこまで兄が驚くのかが判らない。だから、怪訝そうに波留に訊いた。
「波留さん、どう言う事ですか?」
「電脳化していないあなたには関係のない事ですが、我々電脳化している人間は、人工島では常時メタルに接続出来る環境にあります。それを逆手に取り、メタル経由で他人の体を操るのです」
「え、波留さんやソウタにもそんな事、やったりされたり出来るんですか?」
「そうされないように防壁を講じてますし、操作自体にも相当の技量が必要でしょうが、理論上は可能です」
 ハックと言う手法自体は、コンピューターネットワークが発達しつつあった1世紀前から存在する。特にメタル以前の電脳ネットワークにおいてはそれが蔓延し、社会問題にまで発展していた。現在のようにアンドロイドが一般に存在しておらず、人間の義体化がそれ程進んでいなかったのが僅かな救いではあった。
 メタルは人間の意識を直接ネットワークに接続する形式であるため、まずその意識レベルでの防壁構築が絶対的に重視される。互いが望めば意識の共有化すら出来る程に安全性は高まっていた。そのため、昔のネットワークと比較してハックの危険性はかなり低下している。それでも何時の時代にも能力を持て余してアンダーグラウンドに走る技術者は居るもので、完全なる安全宣言は出されていない状況だった。
「それに、久島様は全身義体です。脳核から接続を奪えば、私達アンドロイドと操作は変わりません」
 ホロンが波留の説明を継ぐ。人間の肉体すらハック出来る状況ならば、機械化されている義体のハックはそれに較べたら容易い事であった。
「――しかし、何のために!?」
 勢い込んで言うソウタに、波留は淡々と答える。
「何のためでしょう。暇潰しのモグリの電脳ダイバーの仕業なら、まだ悪戯程度で平和裏に済むでしょうね」
「考えられるのは、それこそ誘拐ですね。久島様の身柄を押さえたとなれば、人工島以外の地域でもメタル開発が可能になるかも知れません」
「何も久島にやらせる必要はない。然るべき施設まで脳核さえ運んでくれば、脳からデータを吸い出す事も可能だ。それでどこまで使い物になるかは判らないが」
 ――な、何だか、話がでっかくなっちゃってる…。
 言い出しっぺのミナモは、マスターとアンドロイドの会話を遠巻きにしていた。
「で、でも、根拠はこいつの主観でしょう!?」
 ソウタはミナモを指差して強い口調で言った。そんな彼に波留は語りかける。
「まあそうなりますが…実際問題として、久島は今何処に向かっているのでしょう?彼がこんなに動くなど、そしてあなたとの約束を反故にするなど、珍しい事態ではないでしょうか」
「それは――」
 ソウタは言葉に詰まる。確かに久島は忙しい人間ではあるが、以前から入れていた予定を何の連絡も無しに破るような上司ではなかった。それは当たっている。
 図星で黙り込んだソウタを見て、波留はふっと笑う。
「まあ、本当に何事もなければいいのですよ。僕も安心です。折角居場所が判ってるんです。追ってみませんか?」
「…はあ?」
「実際の所、見た目上は久島が自由意志で歩いているのです。下手に暴力沙汰になったら、電理研としては大きなイメージダウンですよ。諮問委員会に突き上げ喰らうでしょうし、スポンサーに対しても困った事になるでしょうね」
「だから――俺達だけで何とかしろと?」
「まあ…皆さん、今日は暇なんでしょう?本当に久島が隠れてこそこそやってるだけなら、いいじゃないですか」
 波留はにこやかに微笑んだ。――やっぱりこの人は楽しんでいるのではないか。ソウタはそう思わざるを得ない。が、彼の提案を断るだけの根拠も、充分なだけ構築出来ていなかった。
「勿論、僕には僕の出来る事をやらせて頂きます。サポートしますよ」
 その台詞に反応したのは、ミナモだった。波留の隣に立っていた彼女は、波留を見る。その視線は何処となく心配げなものとなっていた。
「メタルに潜るんですか?」
「ええ。ミナモさん、バディとしてのお仕事、お願いします。あなたが帰宅する予定になっている夕方までには終わらせましょう」
 そう、老人は少女を安心させるように笑い掛けた。
 
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