静かな室内で、彼らは動かず黙り込んでいた。室内には海底の深い蒼が透過され、彼らを僅かに染め上げていた。
 そんな時、瞑目していた波留が、その瞼を上げた。重ねた手を見ているようで居て、何処か中空を見据えている。そして露になっていた彼の瞳が、徐々に真剣な色を帯びてゆく。
 義体はその様子を見下ろしていた。やがて波留は顔を上げる。口許に僅かに微笑を浮かべて見せていた。そこに義体は問い掛ける。
「――電通で、指示でも来たのか」
「…ええ」
 ――すっかりお見通しですか。そう言いたげに波留は苦笑した。そのまま彼は重ねた手を解く。ゆっくりと身体を持ち上げ、立ち上がった。
「そろそろ僕の出番のようです。暇を潰している場合ではなくなりました」
「そうか」
 ふたりは淡々と会話を交わす。立ち上がった波留はサイドテーブルに置いていた部屋に持ち出すべきものを手に取る。
「折角お休みだったのに、お騒がせしましたね」
「私はAIだ。起動しただけに過ぎない」
「そうでしたね」
 それは何度と無く交わした会話だった。波留はその事実に微笑む。何処と無く、これはこれでいいような気もしていた。確かに目の前に居るのは久島ではなく、その記憶を受け継いだAIに過ぎない。しかしそこに感情移入するか否かは、結局は彼と会話する人間次第だった。
 AIやアンドロイドとは、そう言う存在であるはずだった。少なくとも、波留自身の認識においては。
 波留は車椅子に収まった義体に向き直る。軽く頭を下げた。そしてもうその方を向かず、部屋の出口へと足を進める。彼の靴音が静かな室内に響き渡った。
 義体は相変わらず沈黙している。その彼は最早再びスリープモードに入ってしまったのか、それともまだ起動を続けていて波留の背中を見送っているのか。それは振り返らない波留には把握出来ない事だった。
 波留が玄関先のコンソールに手を触れると、すぐに扉は開いた。彼はその隙間に身体を滑り込ませ、部屋を後にする。かつて彼の親友であった人物の私室を。
 波留はこれから、その親友に会いに行く事になっていた。リアルから決別してまで答えを求め、全てから先行した彼から答えを受け取りに行くつもりだった。
 彼は薄明かりが灯っている通路を歩いてゆく。タオルや小さな袋を持ってはいるが、その右手首がやけに軽い。そこに当たる冷たい空気を感じる。
 ――これで全てから決別した事になるのだろうか。僕も。
 その先にあるものとは一体何だろうか。
 波留はそんな事を思いながら、廊下を進んでゆく。ひとまずリネン室などにこれらのものを片付けた後に、彼は旅立つ事にした。
 喧騒の区画には、未だに辿り着いていない。
 
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