太陽は水平線に掛かり、沈みつつある。
 ミナモは事務所のガラス窓越しにそれを眺めていた。結局彼女が待ち続けていた人物は未だに現れない。眠り続ける猫を突付いてみたり、机の上に置きっ放しにしていた紙媒体の書籍を読み耽ってみたりしていたが、それも終わってしまっていた。暇潰しのネタはもう彼女の手元にない。
 事務所内でホロンは相変わらず作業をしている。その間も、途中で席を立ってミナモにお茶のお代わりを淹れたり、ミナモのための買い置きのお菓子を出したりと、色々と世話を焼いてくれていた。
 夕日が事務所に差し込む中、ホロンはまた席を立った。しかし何処かに足を進めるまでもなく、その場から動かない。只視線を上向かせ、その一点を見つめ続けている。
 ミナモはそれを見て一瞬奇妙に感じたが、すぐに誰かと電通しているのだと理解した。ミナモ自身は電脳化していないためにいちいちペーパーインターフェイスを用いて電通しなくてはならないが、この人工島の住民の大半は電脳化済である。彼らは黙り込んだ状態で、メタル経由で脳内にて誰かと会話を繰り広げる事が可能だった。
 ――今、連絡してくるなら、波留さんかな?
 そんなホロンを眺めながらミナモはそう思った。その考えに至ると、彼女の顔には自然に笑みが零れてくる。
 本来の予定からはかなり遅れているのだろうが、今からでも彼が電理研を出て帰路に着くならば、自分は帰らずにまだ事務所で待っておこうと彼女は思った。
 ミナモはこのまま波留と会わずに帰りたくはなかった。折角だから顔を見て、少しでいいから会話もしたかった――とは言え波留は遅い帰宅になっているのから疲れているかもしれないし、迷惑にならないように早く切り上げるつもりではあった。
 彼女がそんな事を考えていると、やがてホロンの視線が下がる。そしてホロンはミナモに向き直った。どうやら電通が終わったらしい。ホロンは微笑んでミナモを見ている。その様子に、ミナモは期待を込めてホロンを見上げた。
「波留さん?今から帰り?」
 ミナモが発したそれは、様々な言葉を省略した台詞だった。ホロンのAIは高度であるためにそれらを補足して理解する事は出来る。しかし、ミナモの台詞を訊いた直後、ホロンの笑みに少しばかり困ったような印象が含まれた。
「――ミナモ様、申し訳ありません」
 ホロンはそう言い、軽く頭を下げる。その態度にミナモは軽く首を傾げた。短い声を上げる。そしてホロンの台詞は続いた。
「マスターは、今日はお戻りにならないそうです」
「――えー!?」
 その台詞に、ミナモは大きな声を上げていた。ホロンの台詞を理解すると、まず、つまらないと言う感情が彼女を襲う。そのための不満げな声と表情だった。
 が、すぐに別の感情が来る。彼女はそれも素直に口に出していた。
「もしかして、検査で何かあったの!?」
 その台詞を発した時には、彼女の表情も声も心配そうなものとなっていた。
 そもそも波留はメディカルチェックのために電理研に向かったのだ。少なくとも、ミナモはホロンにそう訊いていた。
 そこで普段通り何も発見されないのが一番だが、もし何か異常が見付かったのならば、そう簡単に帰宅させては貰えないだろう。最低でも一晩泊まって身体的に安定させた後に精密検査などが行われるのが一般的な措置である。その辺りは、中学生とは言え介助訓練を受けていたミナモにも判っていた。
 もしかしたら、そうなってしまったのだろうか。だとしたら大事だと彼女は思う。やはり波留は最近無理して来ていたのだと感じ、バディとして何か出来る事はなかったのかと後悔を覚える。
 
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