ソウタはその頃には下のダイバールームに到着していた。ブレインダウンしたダイバーが納まっている託体ベッドの周りに医療班が集まる中、彼は波留のベッドへと走る。
「手が空いてる者は、こちらも手伝ってくれ!」
 彼らの脇を全速力で走りつつ、ソウタはそう叫んでいた。彼は波留のベッドの前で急に足を止める。彼はベッドのシールドに腕を叩き付けて自分のスピードを殺した。
 ベッドのモニタを見て波留がログアウトした事を確認し、ソウタは急ぎ波留のベッドのシールドを上げる。そもそもシールドは自動的に上がるものなのだが、彼はそれを待てずに手動で開けた。そして縁に手を着いて顔を突っ込み、中を覗き込む。
 騒がしくシールドを上げられても、ベッドに収まった波留は全く動かなかった。彼は身体をぐったりとベッドに預けている。
 瞼を伏せたまま、それは全く開く様子はない。その顔は無表情で、元からかなり白かった肌は蒼ざめている。鼻と口から一筋の血が流れていて、それが蒼い顔にやけに鮮やかに映えていた。
「波留さん!」
 これを目の当たりにすると、ソウタも流石に焦りの色は隠せない。彼は内部に慌てて腕を伸ばす。波留の脈拍を確認するために首筋に触れると、そこは汗にじっとりと濡れていた。その身体は冷たい。
 首筋に当てたソウタの指には微弱ながら拍動は感じられた。微かに動く胸から自発呼吸もしている様子が見て取れる。彼は合わせてモニタを見た。現在のベッドのデータによると、脳波に乱れはあるが最低限の生命保持には問題ないレベルだった。それにソウタは安堵する。
 しかし、見るからにあまり無事とは言えない状態だった。
 ソウタの隣にストレッチャーが運び込まれる。序盤の数人の救出劇を経て現在はフリーになった医療班が、久島の要請に従い戻ってきていた。ソウタはその専門アンドロイド達に場所を譲る。
 噴射注射器で首筋から薬物を投与し、胸をはだけさせて医療器具を取り付ける。点滴のアンプルが持ち込まれる。ソウタは一歩引き、医療班が波留の手当を行うのを眺めていた。彼らはアンドロイドであるために、作業は早いがそこに感情は認められない。彼らの冷静な動きを見ていると、ソウタは胸を撫で下ろしたい心境になった。
 ――蒼井君。波留の様子は?
 眼前が慌しい中、彼の上司から電通が届く。表面上は冷静な声である。
 ――データ上は命に別状はなさそうですが、現在は気を失っています。ログを解析する必要がありますが、脳に相当の負荷が掛けられたようですね。
 ソウタはそう電通を返したが、敢えて、外見上の話は伝えなかった。鼻や口の毛細血管が破れる程の負荷が掛かったなどと伝えたら、この上司は一体どうするのかと思ったのだ。統括部長は自らの親友の事となるとある種の常軌を逸した行動を取る可能性がある事を、そろそろソウタも理解していた。
 ――そうか…私に彼のベッドに保持されている全てのログを回してくれ。
 上司の要請をソウタは了承した。彼は医療班の邪魔にならないような位置を取りつつベッドに歩み寄り、そのコンソールに掌をかざす。ベッドに保存されていたログデータをまず自分に読み込み、それをオペレーションルームへと転送してゆく。
 久島はオペレーションルームから下の様子を見下ろしていた。医療班に囲まれた状態で波留はゆっくりとストレッチャーに移されていた。そして医療器具などを引き連れて、急ぎ医務室へと運ばれてゆく。そんな様子もガラス越しの遠目ではあるが、上から見る事が出来ていた。
 そもそもあれは――あの少女と彼女が歌った歌は、一体何だったのか。久島は思った。
 オペレーションルームは早急にリンクを切断されたために、現在はそれを分析するためのデータが不足している。しかし波留はそれ以降もあの歌に曝され続けたらしい。ならば、彼のダイブログには情報が詰まっているはずだった。
 あんな危険なものが漂っているならば、メタルの治安上どうにかしなくてはならない。メタル運用の統括者である久島には、その責任があった。
 が、それと同時に、親友をこんな危険に晒してしまった事を彼は後悔していた。
 ――私が彼をこんな目に遭わせて、何が危ない事はするな、だ。どの口が言う。
 久島はそう思い、眼前で握り拳を作った。強く力を込め、義手がぎりぎりと音を立てる。
 少し躊躇した後、久島は苛立ちを込めてその拳でコンソールを殴り付けた。衝撃音が、彼独りしか動くものが居ないオペレーションルームに響く。
 久島の背後のモニタでは、ソウタから送信されて来ているログデータが電子音を立てて処理されている。そのモニタが発する光が彼を照らし出していた。
 
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