一番深い深度にて遭難していたダイバーの救助は最後となった。意識が流れ出さないようにメタルは固定され、波留はその現場に急行した。そして無事、確保する。
 モニタや電通にて状況を把握していた久島は、ようやく安心したかのように溜息をつく。口元に笑みが零れた。――これで、全員だ。波留は長時間のダイブとなっているが、海面に上がってくる都度にエアなどは補給していた。彼も大丈夫であるはずだ――久島はそう安堵していた。
 ――久島。
 そこに、不意に電通が来た。今までは状況報告などの簡易な電通しか来ていないのに、只単に名前を呼ばれた。その変化に久島は気付く。
 ――あれは何だろう?
 次いで、訝しげな波留の声が久島に届いた。久島は何事かと、モニタを見やった。
 ダイバーに肩を貸している波留が漂う海の向こう、更に深い方向に人影が見えていた。メタルの現場に居る波留とモニタ越しのオペレーションルームの久島が見るに、それはダイバースーツを着ていない人間だった。
 場違いに紅いワンピースを纏い、頭の両側でふたつに結んだ長い金髪。それらがメタルの海に揺らめいている。
 その少女は身体から力を抜いたような状態で海を漂っている。瞼は伏せられ、眠っているかのようだった。
 この件に関しては何ら命令を持ち合わせていないガイドバグが彼女の周りをゆらゆら巡っている。波留の指示を待っているかのようだった。
 ――彼女もブレインダウンしているのかな?
 波留は久島に疑問を投げかけ、久島も首を傾げた。少し考える。
 メタルダイバーではない一般利用者が、いくらブレインダウンしたとは言え、こんなメタルの海の深海に漂っているのも妙な話だった。しかし、何が起こるか予測出来ない部分がまだまだあるのがメタルでもある。設計者ですらその可能性を排除出来ていない。
 ――…そうかもしれないな。波留、すまないが彼女も一緒に救助してくれ。
 久島はそう、結論を出した。
 これは予定外の救助である。しかし現場に要救助者が居る以上、人道的な見地から見捨てる事は出来ないのがこの現代であった。それにひとりがふたりに増える程度なら、それぞれに肩を貸せば何とかなるだろうと久島は考えたのだ。
 ――了解。
 その結論に対し、波留から短くも明確な返答が来る。彼もまた、海に生きたダイバーとして、こう言う状況に置かれては誰も見捨てる事は出来ない性分だった。波留は泳ぎを進め、彼女に手を差し伸べようとした。
 その時だった。少女がやんわりと瞼を開ける。それに伴うようにふっと動いたその手がガイドバグに迫り――ガイドバグが突然弾けた。小さな爆発音と共に、その周りの海水ごと吹き飛ぶ。アバターを破壊され、データの断片が光となって消滅する。
 ――何!?
 メタルの波留とリアルの久島は同時に身構えた。これは只の少女ではない――ふたりはそう直感した。
 少女はゆっくりと視線を巡らせる。広いメタルの海を確認するように見回す最中、波留に視線が向かった。初めて彼の姿に気が付いたような顔をして、次いで彼に視線を固定する。波留の姿を瞳に映し、少し微笑んだ。
 そして形の良い唇が動いた。少しだけ泡が吐き出されるが、それ以上は出てこなかった。まるで水こそを呼吸しているかのように、自然な様子だった。
 途端、波留の頭に何かが響いた。何らかを話すような声にメロディが乗っている。それは歌声だった。しかし、ダイバーヘルメットを装着している訳でもないのに、海中で声を発する事が出来る訳がない。全くの他人であるはずだが、メタルの海で近接している事による電通状態になっているのかと波留は思った。
 そして、次の瞬間には、波留の頭に激痛が走っていた。
 凄まじい痛みが彼を襲う。思わず呻きが漏れ、喉を反らせた。思わずヘルメット越しではあるが、彼は自由な片手で額の辺りを押さえた。直接押さえられないのがもどかしい。その間も痛みは間断なく続き、襲ってくる。
 不意に波留に対して、救助していたダイバーの腕が当たる。彼は軽く腕を振り回してきていた。波留ははっとした。彼を覗き込むと、バイザー越しにも苦悶の表情を浮かべている事が見て取れた。
 ――しまった。これは僕だけに聴こえている訳ではないのか!
 自らにも続く頭痛の中、波留は焦りを感じる。彼の脳内では推測が組み上がってゆく。
 ――と言う事は――。
 その可能性に気付いた波留は即座に、リアルへ繋がるための回線を、自ら切断した。
 
[next][back]

[RD top] [SITE top]