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最深部の廊下は長く一本道だった。照明は薄暗く、3者の背中が小さくなり闇に紛れてゆく。ミナモはその様子を視界に捉えきれなくまで、じっと見ていた。一方の彼らはもう振り返らない。何かを喋っているのかもしれないが、ミナモの耳にはそれは届かなかった。 少女の目には闇しか認識されなくなった時点で、彼女ははっとした。慌てて踵を返し、振り向く。目指していたはずの扉を見やった。 その扉は再び閉ざされている。いつものように来訪者を拒む壁となっていた。ミナモは手にしていた携帯端末を、壁際のコンソールにかざす。自らのパスを読み込ませた。 その作業にはミナモは手慣れているはずだった。この部屋を来訪する回数を思えばそうなって当然ではあるし、そもそも未電脳化者であるこの少女は他のコンソール類においてもこの手順で認証して貰う他ない。 その手順に間違いがなければ、問題なく通行が認可される。今回の場合、閉ざされた扉が開いてゆくはずだった。いつもならばそれを安心して見守っているはずだった。 しかし、今回の彼女の心中にはいささか不安があった。先程の来訪者達の存在はいつもの手順からは反しており、想定外の事態に戸惑いを覚えていた。 だから、自分を認証してくれなかったらどうしよう――ミナモはそんな事を思ってしまっていた。いくら通行パスを得ているとは言え、この先は私室である。その主が彼女の訪問を認めなければ、この扉は開かないのだから。 数秒の間が保たれる。それは認証処理のタイムラグと思えば当たり前の待ち時間であり、実際にミナモは普段はそれを普通に待っているはずだった。 しかし今日に限って彼女はその間を何倍もの時間に体感していた。早鐘のように鳴る鼓動が彼女のリズム感覚を狂わせていたのかもしれない。 不意に軽い電子音が響いた。コンソールのランプが点灯し、文字メッセージが表示される。それと同時に、彼女の眼前に立ち塞がっていた扉がゆっくりとスライドしていった。圧搾空気の音が微かに聞こえ、自動ドアが開いてゆく。 ミナモはそれを認めた。そして扉が全て開ききらないうちに、勇み足でその隙間に身体を滑り込ませていた。大きな一歩が一気に敷居を跨ぐ。その勢いに、トートバッグの肩紐が軽く肩に食い込んだ。 「――あの!」 殆どまともな言葉にならなかった声が、少女の口から漏れた。髪を揺らして一歩室内に踏み込んだ後、その入り口部分から室内を見渡す。中の様子を確認しようとした。 室内の様子は相変わらずで、重厚な調度が並んでいる。壁際の観葉植物は青く茂っていた。 しかしミナモが視線を巡らせるまでもなく、普段からは明らかに違う様子が広がっている。いつもならば黒色のデスクに就いている部屋の主が、今日に限っては部屋の中央に存在している応接スペースのソファーに腰掛けていた。それが、異変の最たる要素である。 「――…蒼井ミナモ」 その彼はソファーに腰を下ろしたまま、部屋の入り口に立ち尽くしている少女をちらりと見上げ、その名を呼んだ。抑揚のない声が口から発せられている。それは普段の彼から変わっていない。 「君のアポイントメントの時刻から多少遅れてしまったな。待たせてしまってすまない」 電理研統括部長たる久島永一朗の記憶と知識を受け継ぎ、同様の容貌を保った義体を用いているAI――彼のその言葉に、ミナモは思わず両手を胸の前で振って見せた。今までの戸惑いは吹き飛び、まずはその台詞に対する反応を返していた。 「いえ、私の方こそ少し遅れてたんです。AIさんは気にしなくていいんです」 少女は遅刻の事実を正直に告白していた。確かに何か別の事態が起こっていたのかもしれないが、自分が遅れたのは紛れもない事実なのである。結果オーライだったとは言え、まずはそこを詫びなければ彼女としては気持ちが悪かった。 ミナモはそう思い勢いよくぺこりと頭を下げ、上げる。ふと気付くと、彼の傍らでは、公的アンドロイドがテーブルに向かって屈み込んでいる。そこに出されたティーカップを下げている最中だった。 彼の部屋には、世話役として公的アンドロイドが一体つけられている。以前は車椅子の身分で身の回りの事が殆ど出来なかった彼のための措置だった。 とは言え「彼」自身は義体を操るAIに過ぎない。同程度の障害を持つ半身不随の人間とは違い、彼に大した世話など必要はなかった。 強いて言えば定期的な部屋の掃除と、彼が生かす義務を持つ脳核のためのエネルギー補給としての食事の供給が、彼女の任務だった。それらは厳密に言えば「彼」の世話ではない。「彼」が頭部に抱え込み護っている脳核と、そこに保持されたペルソナを守るための行為だった。 今の彼は義体をまともな人間レベルに操作出来るようになったため、世話の必要はますますなくなっている。しかしこの部屋から外出出来ない身分には変わりはないため、タイプ・ホロンからの最低限の世話は続いていた。 ともかくミナモは、公的アンドロイドの様子を眺めている。出されていたティーカップは4セットである。彼自身を含めたならば、他に居た人間は3名になるだろう。それを思いつつ、少女は先程の部屋の前で遭遇した光景を脳裏に思い起こす。 「えっと…――お客さんだったんですか?」 「まあな」 ミナモの問いに対し、義体からは短い言葉が返ってくる。一応は肯定の言葉を寄越しているが、それ以上の情報は与えてこない。 普段から素っ気ない対応をするAIではある。しかしミナモは曖昧な笑みを浮かべていた。――何かが普段とは違う。彼女にはそんな気がした。 「私、あの人達初めて見ました」 「そうか」 「もしかして、電理研の偉い人だったりするんですか?」 「どの地位から君が言うその表現を用いるべきなのかは各人の辞書によって異なるだろうが、相応の幹部クラスだ」 ミナモからの感想めいた言葉に対し、淡々とした言葉が義体の口から並べ立てられる。彼は、普段からの口調から変化をさせていない。 答えを受けたミナモは肩から下がるトートバッグの紐を掴む。口を噤んだ。 今までの経験上、彼女は「電理研の偉い人」にあまりいい印象を持っていない。 7月のあの日以降からは彼の兄も充分に「電理研の偉い人」に分類されるのだが、彼に限っては自らの家族であり内面から良く見知っている人物のため、その枠外の人だった。その兄とて厳しい判断を迫られる事が多い。彼女はそれを何度も目の当たりにしてきた。 彼女としてはその厳しい判断を兄の独断とは思えず、「偉い人」達との板挟みの末だと理解している。その分ますます兄へは情状酌量してゆき、逆に他の幹部達への印象は悪くなっていた。 そしてこれまで彼女が遭遇した「電理研の判断」とは、このAIを巻き込んだものが多かった。それも「久島部長の知識を利用するために彼の死を認定する」とか「それが適わなかったら、今度は意識回復の治療を行う」とか――少女にはあまりにも自分勝手なように思えていた。 彼らは「久島さん」を大切に思わないのだろうか?――ミナモはそう思ってしまうし、何より彼らはこの「AIさん」には人格すら認めていないのだ。だからこそ、今までのその扱いなのだろう。そしてその扱いはこれからも変化しそうにない。 「彼」自身は、自らの扱われ方を「当然だ」と認めているのだが、ミナモ個人としては全く認めたくはなかった。だって、AIさんだって「人」なんだから――。 その幹部達が「彼」の元を訪問してきた事実を、眼前に認めざるを得ない。すると、少女としてはろくでもない考えを抱いてしまう。 「――あの!」 結果、勢いだけが先走った。彼女の口からはまたしてもまともな言葉が出てこない。そんな少女を、義体は一瞥する。無感動な瞳が、少女に向けられていた。 すると先程の勢いは何処へ行ったのか、ミナモは何も言えなくなってしまう。黙り込み俯いた。両手を膝の前で合わせ、もじもじと動かすばかりである。 彼らの傍らでは、作業を終えたタイプ・ホロンが一礼している。手にしたトレーの上にはティーカップが並び、彼女はそれを下げて退出していくらしい。この室内で現在、彼女だけが笑みを浮かべていた。 退出の言葉を述べたホロンに、AIという同じ存在であるはずのその義体は視線を向ける。無言で頷いた後に、ふと視線を上向かせた。ソファーに腰掛けた状態で、膝の上で両手を組み合わせている。 「――蒼井ミナモ」 彼はその体勢のまま、不意に言葉を発した。その声にミナモは顔を上げる。次の言葉を待った。 しかし、彼の口から続いてきたのは、彼女の想定していない類の台詞だった。 「紅茶でも飲むか?」 |