辺境の基地のために建築物は仮設のもので造られており、そのために士官用の建物であっても間取りも家具も画一的である。ロイエンタールとミッターマイヤーは同時期の赴任であるし、この基地で個人的に入手出来る物資も数少ない。
 つまり、このふたりの部屋の状態にそれ程変わりはなかった。私物の数も少なく、勤務時間も似たような状態のため、雑然さも同様である。一般常識としては綺麗に整頓されているレベルであるように思われた。
 ロイエンタールは先程脱ぎ捨てていた軍服の上着を、椅子から取り上げる。そのまま部屋の壁にハンガーで吊り下げておく。椅子を勧められたミッターマイヤーはそのまま着席した。独り部屋だが、椅子は一部屋にふたつ揃えられているのが救いである。大尉ともなれば自室での歓談も前提とされ、プライベートも多少守られるものらしい。
 手際良く上着の皺を伸ばしたロイエンタールは、そのまま残りの席に着いた。酒もコーヒーもなければ、只の水もない。既に食事も歓談も終わって後は眠るだけと言う時間と言うのが第一の理由ではある。しかし、供給される物資ばかりか惑星に固有に存在する物資も豊かではないために、ここでは水も節約すべき物資だった。そのために今、ふたりの大尉は食物も飲料もないまま、只会話するために向かい合って座る格好になっている。
「――俺は子供の頃には、たまに親父の手伝いに出ていたんだよな」
 ロイエンタールが椅子を引いて着席するのを待ってから、ミッターマイヤーの口からそんな台詞が漏れた。使い込まれて古臭いが埃や汚れの気配がないテーブルの上に、片腕を投げ出して若干寛ぎ気味の姿勢だった。
 不意の話に、ロイエンタールは椅子の背を後ろ手に引いたまま、一瞬動きが止まる。中腰の姿勢を数秒程度維持したままでいたが、そんなロイエンタールをミッターマイヤーが上目遣いで見やった。視線が合った事で自分の体勢を客観的に感じる事が出来たのか、ロイエンタールは我に返って再び椅子を引いた。まともに座り直す。
「まあ、職人達の真似事はやらないがな。道具なんかを運んだりする雑用程度はやったよ」
「…ほう」
 友人の態度に何を思うのか或いは何も考えていないのか、ミッターマイヤーは普通に話を続ける。それに対してロイエンタールは相槌を打つが、果たしてどう反応してよいのか判らなかった。ミッターマイヤー自身の子供の頃の記憶など自分には関係がなさそうな話題だと言うのに、何故これを訊かせてくるのか訳が判らない。
 かと言って邪険にするには話が未だに本題に到達していない雰囲気のためにまだ早そうであるように思えたし、そもそも彼はこの「親友」をあまり邪険にはしたくはなかった。結果、軽く腕組みをして、友人の話の方向を見守る事にする。
「結構楽しかったぞ。特に出自は言わなかったから、家の人間には徒弟だと思われてたと思う。家によっては使用人に余り物のお菓子を貰ったりな」
 ミッターマイヤーは思い出話をしているのには変わりないようだった。その楽しそうな顔を見ていると、本当に豊かな子供時代を過ごしたのだろうとロイエンタールには推測される。
 ――全く、俺とは全く違う子供時代を過ごしていたのだろう。そうでなくては、このような気持ちの良い性格の男に育つ訳がない。そんな事を思うと、彼の脳裏に一瞬自分の子供時代の記憶が蘇る。それは彼にとって思い出したくもない過去であるはずだった。
「――で、大体のお世話になった屋敷は未だに記憶しているのだが…」
 ここでミッターマイヤーはこめかみに人差し指を当てた。軽く瞼を伏せ、何かを考え込むような仕草をする。
 その台詞と仕草に、ロイエンタールはミッターマイヤーを見やった。瞬時に自らの脳内での記憶の再生は止まり、ミッターマイヤーの顔を見守る。ミッターマイヤーはどうやら本気で脳内の何かを検索しているらしい。
 そもそも話の流れからして、その検索結果がこの部屋の訪問に重大な影響をもたらすのだろうから、この部屋に来る前に既に検索結果は出ているものと思われる。それでも一応間違いがないように検索し直しているのだろう――ロイエンタールはそう判断し、口を挟まない。
 不意に、ミッターマイヤーのこめかみから、指が離れた。瞼が持ち上げられ、ロイエンタールを見据える。自由になった手が開かれ、ロイエンタールを指し示す。そしてミッターマイヤーは、口を開いた。
「――俺の記憶に卿の屋敷や名はなかったから、おそらく本当に卿の実家は俺の父親に仕事を寄越してくれた事はないと思うよ」
「…そうなのか?」
 ロイエンタールの口から思わず声が出る。ようやく自分の方向に話題が向いた。そしてその台詞が事実であるのか、その確認のために、ミッターマイヤーへの台詞は疑問形になっていた。
 しかし、ミッターマイヤーの記憶力については、ロイエンタールは疑う余地は持たなかった。それは普段の生活からも良く判っていた。細々とした事に対してメモを必要としない。作戦立案の際に引き合いに出す過去の戦史に関しても、脳内からの記憶で基本は賄う事が出来るらしい。
 その活発な容貌とは裏腹に素晴らしい頭脳と記憶力とを持ち合わせている事をロイエンタールは知っていた。だから、子供時代の記憶も今尚鮮明に思い出す事が出来るのだろう――と、推測する事が出来ていた。何せ彼もまた同じような頭脳や記憶力の持ち主であったから、推測も容易だった。
 その同じ頭脳の持ち主がそう言うのならば、おそらく本当なのだろう。問いかけたのは、あくまでも事実を再確認するためだった。本当に疑問を持っていた訳ではない。疑問を呈するだけの材料を、ロイエンタールは自らの記憶にも情報を総合した上の推測にも、持ち合わせていなかった。
 果たしてミッターマイヤーは、提示した記憶を更に補強するだけの情報を開示する。半ば身を乗り出して説明を始めた。
「本当に評判が良いのかも知れんが、何せうちは親父で持っている会社だ。それに庭は生き物だから、季節毎に面倒を看てやらないとならない。だから、無闇にお得意様を増やせないものだと訊いている。――だから、今日、2軒のお得意様に巡り会ったのは物凄く確率が低い偶然だと思うよ」
「うむ…」
 ロイエンタールは腕を組み直す。瞼を伏せ、友人同様に子供時代の記憶を検索しようとする。彼もまた、友人同様に記憶力には優れていた。それを生かそうとした。
 ――しかし、どうせ学校から帰ったら、離れに引き篭もっていた生活だったのだ。屋敷全体を歩き回った記憶など殆どなかろうし、陽の当たる庭を自由に歩いた覚えも殆どない。…ああ、学校にも通う前の歳の頃、未だ病床の母親に、庭の花を摘んで行った事が――。
 …そこでロイエンタールは瞼を鬱陶しげに上げる。彼にしてみたら、子供時代には、思い出したくもない記憶が数多く積み重なっていた。そのため、思い返すのを、止めた。
 幼い頃の記憶の検索は中断された。しかし、彼は当主となった現在においても家の事に関して殆ど関わっていないのは事実であり、庭の整備に関する知識も全くなかった。だからミッターマイヤーの記憶に追随しても間違いではないように思われた。友人の補足説明にも上手い具合に説得されている――あの説明では、常連客はせいぜい10軒が限界だろう。そしてオーディンのみを商売の舞台にするにせよ、そこは首都星である。オーディンに居を構える貴族の本家・分家や豪商は数知れない。その中の10軒に入るには、相当低い確率であるように思われた。
 以上のように、ロイエンタールはミッターマイヤーの論理に納得をした。
 納得はしたが、疑問が新たに沸いて出てくる。
 彼は軽く頭を傾げた。やんわりと腕を解く。そしてミッターマイヤーを軽く見やった。

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