それぞれの上官の順番が終わった事で、中尉ふたりに順番が回ってくる。まずはミッターマイヤーの部下である商家出身の中尉、そしてロイエンタールの部下である貴族出身の中尉。それぞれが粛々とカードを捨て、選ぶ。彼らの間で会話は行われなかった。
 周りのテーブルからの会話が微かに伝わってくる。それをBGMに、カードが擦れて立てる微かな音や、コインの硬い音が混ざる。音に混ざってコーヒーの香りや熱も漂っている。
「――そう言えば」
 ずっと考え込んでいたシュテファンが不意に口を開いた。何かを思い付いた様子で、その表情は晴れやかになっている。彼は相変わらずロイエンタールの傍に立っていた。
 少年のその様子に、中尉ふたりが視線を寄越す。何か言いたげな顔をしていたが、それ以上の行動には出ない。ミッターマイヤーは自分の手順に来ているからか、手元のカードから視線を外さない。眉を寄せて考え込み、カードを1枚、手札の中から引き抜き、捨てる。瞼を伏せ、何かを祈るような表情でカードの山の一番上のカードを、引いた。
 シュテファンと言う少年は、少なくとも愚かではなかった。それはこの軍人社会に、多少のお目こぼしは受けつつも溶け込んでいる点から窺い知る事が出来る。上流貴族の軍人は、とかく自分の血筋を振りかざし、自分より下の家系の者を人間扱いしない事が多いのだから。勉学にも熱心で、幼年学校ではトップクラスの成績を誇っていた。それだけに、記憶力もそれなりにある。
 彼にはこの基地の全てが目新しかった。施設も作戦行動も、人間達も全てがその対象だった。だから、たくさんの人々と触れ合いたかった。それが将来の糧になると信じていた。このテーブルの面々と会話を交わしているのもそれが理由のひとつである。
 少年は記憶の中からロイエンタールに関連しているような事を発掘しようと試みていた。とは言え帝国全土に何千とも存在する帝国騎士は、貴族とは名ばかりの存在である。シュテファンのような皇帝にも覚えがあるような上流貴族とは違う。しかし、彼は何処か記憶に引っかかりを感じていた。それはロイエンタール家が貴族である以上に資産家として少しは名を知られている事以外にも何かあったはずで――。
 そしてシュテファンは、その引っ掛かりの手掛かりを記憶の彼方から掴み取っていた。そのためか、上機嫌で頬を高潮させたまま言葉を継ぐ。
「大尉は、確か伯爵家に御縁が――」
「――良し、これでどうだ!」
 不意にミッターマイヤーが大きな声を上げた。その声が、絶妙にシュテファンの台詞を遮った。その勢いにシュテファンも二の句が告げなくなる。表情に戸惑いを浮かべ、口を半開きにしたまま、邪魔をした平民大尉の方を見る。
 ミッターマイヤーは彼のそんな態度を意に介さないように、手の中にあるトランプをさっと前に広げた。
「クラブのフラッシュだ。卿らにそのコーヒーポット代を出して貰うぞ」
 彼の前のテーブルに広げられた5枚のカードは、彼が言う通りの手を示していた。にこにこと微笑を浮かべ、その手を誇るように両手を広げた。そして腕を組む。上機嫌の表情のまま、他の3人の開示を待った。
「うわーまだ手が出来てませんよ」
 苦笑気味にミッターマイヤーの部下の中尉が広げたそこにあるのはスリーカードだった。もうひとりの中尉もまた苦笑いを浮かべて投げやりにカードを目の前に投げ出す。あまり良い手ではないようで、既に勝負を捨てたらしい。
 残るはロイエンタールである。自然に3者の視線が彼の方を向く。ロイエンタールは相変わらず俯き加減で、眉を寄せた難しい表情をしていた。先程まで少年の言葉を受け止めていた状況と表情は変わらない。
 と、その表情がふっと緩和した。ミッターマイヤーの方を見やりつつ、僅かに口元を綻ばせる。軽く投げるように手の中のカードを目の前に放った。ぱさりと音を立てつつも、綺麗に5枚が広がって提示される。そこにあったのは、数値は今一歩で並んでいないが、5枚ともがハートのカードだった。
「――どうやら僅差で俺の勝ちのようだな」
 ロイエンタールはミッターマイヤーを見て笑った。それに対してミッターマイヤーは軽く舌打ちを返す。頭に手をやり、蜂蜜色の髪を無造作に掻き回した。唇を若干尖らせ、ぶつくさと言い募る。
「今さっき作り出した手だから、誰も着いて来れないと思っていたのだがなあ…」
「悪いな。ストレートフラッシュ狙いで待っていた」
「流石はロイエンタール大尉、放っておいてもハートは手元に集まるらしい」
 この台詞にロイエンタールは鼻で笑う。それでも、厭な感じの笑みではなかった。ミッターマイヤーを見ている瞳は、暖かい。
「まあ、ワイン代ではないから、それ程気持ちは盛り上がらんがな」
 髪を掻き回すのを止めたミッターマイヤーがそんな事を言う。カードを提示した際にはあれ程の声を上げておいてこんな台詞では、負け惜しみと言われても仕方がないような状況である――ロイエンタールはそう思い、ますます笑みが漏れてくる。
「賭け事はここでは数少ない娯楽です。そんな事を言わずにお付き合い下さい」
「このままでは終わりたくありませんので、もう一勝負行かせて頂けますか」
 テーブル上のカードを纏め上げ、再びシャッフルしている中尉が再戦の申し入れをすると、もう独りの中尉も半ば腰を浮かせて大尉達に言う。大尉ふたりは優劣がついたとは言え、同じフラッシュである。それに対して中尉達はそれ程良い手が出来ていた訳ではない。その事が多少勝負心を燻らせているのか――そんな状況であった。





 そんな中、シュテファンは、4人の軍人達を見つめて手持ち無沙汰に立っていた。
 彼は愚かではない。自分が言おうとした何かを、ミッターマイヤーが遮っただろう事は、推測出来ていた。偶然にフラッシュが出来たのかもしれないが、それにしても唐突だったからだ。普段のミッターマイヤーならば、誰かが会話している邪魔をするような人間ではないと、シュテファンは知っていた。
 そしてある意味無礼な行為に中尉達も乗っていったと言う事は、実際に自分がまずい事を言いかけていたのだろう。その傷口を広げないように、大人達が気遣って行ったのだろう――そんな事を悟っていた。
 それが何であるか、彼には良く判らなかった。記憶から引っ張り出した事実は、実は記憶違いだったか。それとも触れてはならない事だったのか――しかし、上流貴族で爵位持ちの家系である彼には、伯爵家に係累があると言う事実は誇るべきものであるように思えていた。だとしたら、やはり勘違いだったのだろうか?だとしたら、確かに失礼だろう――。
「あの、僕――」
 戸惑い気味にシュテファンが言い掛けた時、ミッターマイヤーが片手を挙げた。今度は明確に、シュテファンの台詞を遮った。途端に少年の表情が戸惑いから不安に変わる。
 そんな彼を、ミッターマイヤーは微笑んで見上げる。人好きのする表情をした中尉は、優しそうな視線を投げかけた。
「君は何も悪い事はしていない。だから謝る必要はないんじゃないかな」
 軽く体を傾げ、体ごとシュテファンの方を見やっている。そしてグレーの瞳がしっかりと少年の顔を見つめている。大尉とは思えない程に親しげな態度だった。
 そこに口を挟んできた人間が居た。
「――悪い事はしていないが、自分の考えをそのまま表現していいかは、時と場合に拠る」
 ロイエンタールは相変わらずシュテファンの方を見ないまま、そう言った。ミッターマイヤーと較べると、明らかに冷たい声だった。しかし、初めて自分からシュテファンに話し掛けている。その事実に、この場に居合わせた全員が気付いた。それ程までに言いたかった台詞なのか、それとも他の事情があるかまでは類推できなかったが。
 それに対し、シュテファンは無言で軽く頭を下げた。そして自らの仕事へ戻っていく。いつまでも抱え込んでいた空のコーヒーポットを返却しに戻るついでに、他のテーブルの様子もさりげなく見回っていっている。
 少年が立ち去った後、無言で商家出身の中尉がカードを配り始める。その間、コーヒーポットが順序良く回り、各人で自らのカップにコーヒーを継ぎ足していた。芳醇な香りが再びテーブルを満たしていく。

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06/10/30

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