テーブル上で幾度目かの激戦が繰り広げられていた最中、その脇から声が投げかけられた。声変わりもしていない、高めの少年の声だった。
「――失礼します。ポットをお替えしましょうか?」
 その声がした所に一番近い位置で席についていたのはミッターマイヤーだった。彼が視線を向けるとその遠くない先には幼年学校の制服を着た少年がポットを手にして立っている。
「ああ、悪いな。そろそろ替えて貰おうか」
 ミッターマイヤーは彼に笑い掛けた。手にしていたカード数枚を一旦テーブルに伏せて置く。それから手を伸ばし、少年からポットを受け取った。その間に、奥の席についていた中尉が手際よく元のポットの中身を各人のコーヒーカップに注ぐ。そして少年はその中尉の元に向かい、ポットを受け取った。重さからして、全員分に注ぎ終えた段階でポットはほぼ空になっている事が中尉にも少年にも推察された。
「――丁度コーヒーがなくなる頃だったな。相変わらず気が利くなあシュテファンは」
 感心した風に言う中尉の言葉に、名を呼ばれた幼年学校生ははにかんで笑った。
 このシュテファンと言う名の少年は幼年学校の最終学年であり、卒業間近の実地研修として実戦での後方支援の任務に携わっている。
 150年もの長期間の戦争を続けているために、帝国軍は慢性的な人員不足である。実際に戦う人間には流石に男子を投入しなければならないが、後方支援においてはそれなりの審査を経た女性も軍属待遇で起用しているのが実情だった。
 そして幼年学校生の実地研修も後方支援としては重要な位置を占めていた。まだまだ子供と言える年齢の少年達とは言え、ある程度の軍教育を受けている立場である。軍もこれを生かさない理由はなかった。
 とは言え幼年学校とは基本的に貴族の子弟が入学する学校である。その中にはよんどころ無い血筋の少年が箔を付けるために在学している事も多い。そのために首都星系やその近辺の星系に研修に向かう生徒もそれなりに多かった。
 だから、貴族の家系に属する幼年学校生が前線基地に研修に出ていると言う事は、軍の常識と照らし合わせるとあまりない出来事だった。それをこの基地の人間の大抵は知っている。
 そもそも彼は基地指令の従卒として研修の任に就いていたのだが、そのうちに人員が足りない食堂の手伝いまでこなすようになっていた。だから、顔馴染みの一般兵や士官達は自分の弟や息子のような年代の少年を何処かしか可愛く感じ始めている。
 新しいポットを受け取ったミッターマイヤーは、少し重いそれを片手でテーブルの上に置いた。古びた木製のテーブルが僅かに軋んでそれを受け止める。そんな作業をしつつ、彼は少年を見やった。
「何事であっても、自分に出来る事があると言うのは良い事だ。それだけで不安がなくなる」
 そう言って蜂蜜色の髪を持つ大尉は、年齢より更に若く見える表情を浮かべて目を細めて笑った。それに対して少年も頷き返す。短い銀髪が揺れた。
 ロイエンタールはそんな情景をちらりと横目で一瞥し、すぐに手元のカードに視線を戻した。必要ないと思われるカードを1枚捨て、山から1枚引く。彼の視界の脇では、注がれたままのコーヒーが湯気を上げて存在を主張していた。
 空のポットを胸元に引き寄せるような姿勢でシュテファンは一歩後ろに引き、一礼する。それを合図にしたかのように、ミッターマイヤーはテーブルの上に置いたままの自分のカードを取り上げた。他人に見えないように手元で広げ、一瞥する。そしてカードを1枚捨て、入れ替わりに1枚引く。それに伴い、手元に積み上げてあるコインを1枚、人差し指で押し出した。賭け金を更に押し上げる。
「――ミッターマイヤー大尉は、オーディンの御出身ですか?」
「ああ、そうだが?」
 どうやらウェイターとしての仕事が一段落ついているらしく、シュテファンは尉官達のポーカーを一歩下がって眺めている。一番近くに居たミッターマイヤーの背中にそう問いかけると、問われた大尉は手元から視線を外す事無く答えた。何故そんな事を訊くのかとか、何故首都星出身だと思ったのかとか、そんな一抹の疑問が彼の脳裏をよぎるが、それ自体は大した問題ではないと無意識に判断したために意識はポーカーから外れない。
 すると、答えを受け取ったシュテファンは笑顔を浮かべる。ポットを胸元に抱え込むようにして、多少勢い込んで言う。
「もしかしたら、御実家は造園業をなさっているのでは?」
 この台詞にはミッターマイヤーは一瞬軽く首を傾けた。そしてそのまま喉を反らせる格好で頭を後ろへ傾ける。硬い椅子の背が彼の後頭部を枕のように支える状態となった。彼が見上げる先には、銀髪の少年の笑顔があった。
「………へえ、君は俺の実家の事を知っているのか」
 ミッターマイヤーの実家は、造園業を営んでいる。父親自身が庭師であり、その他にも数人の職人を雇っている状況だ。オーディンの富豪や貴族相手に堅実な経営を行い、生活は平民ながら中流レベルを保っていた。ミッターマイヤーは少年時代からそれ程の贅沢をした事はないが、少なくともその日の食事に困った事はない。それはこの戦乱の時勢で大した事だと、幼い頃から知っていた。
「はい、僕の一族のオーディンでの邸宅の庭を良く担当して頂いているそうです。腕がいいと父から常々訊いているもので…こんな辺境でその関係者らしき苗字の方を拝見したので、失礼ながら伺いました」
 どうやら自分の読みが的中していた事が嬉しいらしい。シュテファンは幾分頬を高潮させて理由を語る。その様子をミッターマイヤーは見上げていた。
「俺は家業には現状では一切関わっていないが、褒めて貰って嬉しいな。帰郷した時には家族に話しておこう」
 妙な姿勢ながらもミッターマイヤーは笑顔を浮かべたままだった。そのうちに体を前に傾け、椅子が揺れる。その拍子に彼は前のめりになって元の普通の椅子に座った姿勢に戻った。蜂蜜色の髪が揺れる。若干、頭に血が上った感がして、彼は顔を左右に振った。

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