会話では、ミッターマイヤーは俺を責めない。新たな酒を俺に勧め、何事も無かったかのように振舞う。俺もそれに甘えてしまい、その件には触れずにいる。
 しかし、酔いが醒めてしまった。残り少ないアルコール分を改めて摂取しても、酔いはぶり返しては来なかった。それは目の前の親友も同じ状態であるように思えた。会話は普通に交わしているが、そこから明快さは微妙に失われている。
 俺は結局、この夫婦の家から辞去する事にした。
 普段ならば考えられない事で――厚かましくも泊まり込み、特に用事がなければ朝食まで世話になるのが、我々の休日と言うものだった。俺の屋敷に奴が泊まった時も同様のパターンを踏むのが通常であるが、使用人がいるとは言え独り身である俺の屋敷とここは違う。妻は使用人ではない。対等の相手であるはずだった。その奥方が何も言わない事をいい事に、俺は世話になる。正に、厚かましい。
 俺は、どうにも今晩は、その厚かましさを発揮する気分になれない。
「――帰るのか」
「ああ」
 玄関先において、家主との会話はそこで途切れる。それが、俺がいかにまずい事をやってしまったのかを雄弁に物語っていた。
 理由もなく俺が帰ろうとしているならば、奴は俺を引き留めようとするだろう。無論、無理に引き留めようはしないだろう。が、ひとまずはそんな素振りを見せていいはずなのである。それがない。ということは、俺が帰宅することに奴は充分な根拠を見出しているのだ。
「通りまで送ろう」
「いや…構わぬよ」
 脱いでいた軍服の上着を羽織り、きっちりと前を止める。深夜であり、地上車で帰宅するつもりなので誰かとすれ違う可能性は極めて低いだろう。しかし俺としては身支度はきちんとしておきたいために、一旦外していたマントも親友の手を借りて付け直す。
 シャツが幾分酒の匂いを封じ込めている。その上から上着を纏った事により、酒の気配は内に封じ込められた格好になっているが、それでもほのかに香ってきていた。俺自身の酔いは醒め切っているのに、匂いだけが残っている。
 身支度が整った俺は、まるで従卒か使用人かと言う風に俺のマントを整えてくれたミッターマイヤーを振り返った。一段低い位置に、蜂蜜色の頭が見える。俺が振り返った拍子に、奴の手からマントが離れた。
「――では、近くの通りに自動タクシーを呼び出しておこう」
 それを合図にしたように、ミッターマイヤーは俯き加減のままそう言った。
「…そうだな。それはお願いしようか」
 俺は彼の台詞に頷いた。
 自前の携帯端末で自動タクシーを呼び出しても構わないが、奴が呼び出してくれるなら手間は掛からない。この家から開けた通りに歩いていくまでに、タクシーは到着して俺を待ってくれているだろう。
 自分で言うのは気が引けるが、国家の重鎮として無防備な行動は出来うる限り避けるのが義務である。…もっとも、自動タクシーに乗った所で、荷電粒子砲だの大口径のビームライフルなどを持ち出されては、充分危険なのであるが。まあ、そこまで心配するのは、護衛も連れ歩いていない以上、今更である。
「では、悪いが頼む。――明後日、休み明けに会おう」
 俺はそう言って、軽く笑った。片手を上げる。――俺にそんな資格があるのか判らないが、ともかく奴が気にしていないのかそうでないのかは、明後日出会った時に判るだろう。その時、今まで通りに接してくれる事を祈るのみだ。
 現状は、微妙にぎくしゃくしている。表立って喧嘩をした訳ではない。しかし、いつもの気持ちのいい笑みは、あれ以来見ていない。俺に見せてくれていない。

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