それからは特に会話もなく、淡々とした時間が流れていく。 いくら旨いコーヒーとは言え、冷めては不味くなる。かと言って慌てて飲むのも無作法だ。その辺りは俺も心得ていた。時間を速く進めたいが、コーヒーが旨い以上、ある程度味を楽しんで飲みたい。そう思って、只カップを傾けていた時だった。 「――ひとつお尋ねしたい事があるのですが、少佐」 「何でしょう?」 不意に彼女が俺に対して質問してきた。俺はそれに、顔を上げる。カップとトレイを持つ手をそのまま下げた。カップの中にはコーヒーは殆ど残っていなかった。 「その…――ウォルフの次の赴任先はもう決定されているのでしょうか?」 その台詞に、俺は彼女の顔をまじまじと見てしまった。意外な言葉だった。何故俺にそんな事を訊くのか――夫に尋ねはしないのか?やはり、夫には余計な事を訊きたくないのだろうか? 余程俺は奇妙な顔をしていたらしい。俺に見られていた彼女は、不意に相好を崩した。取り繕うように笑みを浮かべる。両手を膝の上に置き、所在なげに動かしている。そして、そんな表情を浮かべたまま、俺に言う。 「あの、守秘義務もおありでしょうから。いくら軍人の身内とは言え、出立まで軍の作戦を公表出来ないのでしたら、無理に今仰らなくても――」 「――カプチェランカ」 俺は彼女の台詞を遮り、答えを告げた。短く、簡潔に。 苦笑気味に言い募る彼女が奇妙に笑いを誘ったから、俺は無作法にもそんな態度を取ってしまった。俺の口元にも笑みが浮かんでいた。 俺が発した固有名詞に、彼女はきょとんとした。おそらくは一般人は唐突にこんな言葉を訊かされても、それが何を意味するのかは判らないのだろう。彼女の反応は妥当だった。だから、俺は少しの間を経て説明を加える。 「次は惑星カプチェランカへの赴任になると思います。赴任と言いましてもあの惑星は明確に帝国の領土となっている訳ではないので、その近くの星系の基地への赴任です。そこから惑星への降下作戦を行う事になるでしょう」 その惑星は何十年も前から叛乱軍と所有権を争っている。何故なら、希少なレアメタルの鉱脈が多数存在する惑星だからだ。その所有権は何度入れ替わったか、互いの戦史を眺めても把握する事は困難だろう。 環境は高重力・極低温と劣悪であり、戦闘自体もそうだが開拓すらもままならない惑星だ。仮に奪還に成功したところで、部隊がすぐに撤退する事はあり得ないだろう。また、長期の赴任になりそうだ。 「…その惑星なら、訊いた事があります」 「ほう?」 意外な台詞に俺は声を上げた。顎に手を当てる。 「時々公共放送で話題になりますわよ。帝国軍が秩序を回復したと思えば、次の放送では戦術的転進を行ったとか」 「…成程、臣民へはそのように知らせているのですな」 物は言い様と言う奴だ。壊滅だの敗走だのと言う言葉は一切使えないのだから。かと言って臣民がその美辞麗句を信じているかと言うと、そうではないだろう。細かな真実を教えられない平民も、長年の戦争によって疲弊しているのだから。ろくでもない状況である事は判り切っているだろう。 「赴任はそう遠くはない話だと思います。我々は以前の功績で中佐に昇進してから、カプチェランカ行きになるでしょうな。そして地上戦を展開する事になるでしょう」 「中佐――ですか」 昇進の話をしても、彼女は大して感慨深い反応は見せなかった。この辺りも、夫に似ていると思う。出世欲と言う奴がまるでない。もっとも、欲がないのに手に入ってしまうのだから、あいつとしてもどうしようもないのだろうし、彼女としても実感が沸かないのだろう。 「まあ、特進の前渡しではない事を祈るのみですがね」 「…また、激戦区ですね…」 彼女の表情が沈んでいく。それは眼に見えて判る事なので、俺は苦笑せざるを得ない。励ますつもりもないし、その効果もないだろうが、俺は付け加えた。 「その分武勲を挙げる機会はありますよ。生きて帰ったなら、大佐は確実です」 職業軍人にとって、昇進とは目の前に下げられた餌のようなものだ。地位も上がればそれに伴い責任も大きくなる。と同時に、与えられる権限も大きくなる。今までろくでもない作戦に左右させられてきても、自分の権限でその作戦に微細な修正を加える事も出来る。 もっとも、作戦の根幹は将官が決定してしまっているのだから、それ自体をどうにかする事は出来ない。しかしそれは戦略的なレベルの話だ。俺達現場の佐官にとっては、戦術レベルでの微細な修正が、生死を分ける事は少なくないだろう。 俺にはそれが重要だった。おそらくはミッターマイヤーの奴も重要だと思っているだろう。しかし俺はそれを半ば熱望して戦っているのに対し、奴はあくまでも戦っている際にはその後の権限の拡大など全く考えてはいない。それが俺達の違いだった。 |