緊張感がどんどん高まっていく。これが飽和した時が、彼らが襲ってくる時だ。そして僕が死ぬ時だ。かと言って僕にそれを押し留める術はない。もう諦めるしかない。 僕は彼らから目を離せない。目を反らして――彼らが僕が「意識を反らした」と判断したら、確実に殺されるだろう。それをしたくないという事は、やはり僕は死にたくないのか?それとも、自分から死を選ぶ事が出来ないだけか? 僕は弱い。小さい存在だ。何も出来ないんだ。だから捨てられたんだ。 顔が歪むのが判る。体中の傷が痛い。でも、右目は相変わらず痛くない。地面の草を掴む手に力がこもった。 ――と、地面に当たる爪に、何か硬い感触がした。土ではない。何かが埋まってる感触――。 僕は指に力を入れた。草から手を離し、硬い物と土の間に指を押し入れる。爪の中に微細な砂や土の破片が入り込む微妙な圧迫感がする。が、確かに指は硬い物を捉えている。長細いようなもので――。 僕は視線を下にやった。指に触れているものは、節くれている茶色い長い物体。古い木の枝のようで、それが土の中に埋まっていたようだった。 不意に、肌に風を感じた。地鳴りのような唸り声と、激しく大地を蹴る音。 僕は、犬達から視線を外していた事に今更気付いた。 反射的に手が跳ね上がる。土の中から見えていた枝のような物体に手をかけ、それを掴んだまま打ち払うように振り上げた。土の塊が僕の視界に飛び散る。 只、反射的な行動だった。それが、僕に飛び掛ってきていた犬の顔面を打ち払っていた。 手に、腕に、鈍い感触が伝わってくる。木の枝はそんなに痛んでいなかったようで、飛び掛ってきた犬と僕がそれに打ち付けた衝撃と、どちらにも屈しなかった。折れはしなかった。 僕は反射的に防御しただけで、攻撃の意思があった訳ではない。それでも犬に与えた衝撃は大きかったようで、枝によって犬は弾き飛ばされていた。どさりと言う音を立ててその体は草地に落ちた。その衝撃が微かに僕の座る草まで伝わってくる。 襲い掛かってきたのは1匹のみだった。他の犬は僕達を遠巻きにして見守っている体勢だった。横倒しに倒れた犬は頭を微かに振っている。体を引き摺るようにして足に力を入れ、立ち上がろうとする。 僕はそれを見ている場合ではなかった。また1匹、襲い掛かってきた。僕はまた枝を振るうが、同じ事は二度と通用しない。犬はそれを空中で器用に交わした。僕の眼前に、迫る。大きな口には牙が並び、それが僕の視界を覆う。犬が飛び掛ってきて、僕の体を倒す。背中から叩き付けられ、草の感触がする。 ――同じ事?僕はさっきは反射的に行動しただけだ。別に身を守ろうとも思った訳では――いや、どうなんだろう。無意識にしても身を守ろうとした?でも、攻撃しようとは思っては――。 迫り来る牙を目の当たりにした僕の生存本能は、またしても自らを守ろうとした。腕が勝手に動いた。気付いた時には枝の両端をそれぞれの手で持ち、眼前に掲げていた。 その枝が、犬の口を押し留めていた。 僕は押し倒された体勢のまま、両腕をしっかりと伸ばしていた。そこに掲げられた枝が、圧し掛かった犬の口にあてがわれている。大きく開いた口が丸見えで、そこから垂れてくる涎が僕の顔に落ちた。生臭い息が顔に掛かる。両肩の脇に突かれている犬の足に力が篭もったのか、草が踏みしめられる音がする。 ぎりぎりと枝が軋む。犬が力で押し切るつもりになったらしい。僕は腕を懸命に伸ばした。犬の力は凄いもので、非力な僕では何時まで支えられるか判らない。 ――判らない? そもそも、僕は反射的に抵抗しただけじゃないのか?なら、もう能動的に、抵抗しなくてもいいのではないか? 能動的に抵抗するという事は、やはり僕は死にたくないのか? 僕は眼前に迫る血走った犬の瞳に恐怖を感じた。圧倒的な力に、肘が折れ曲がろうとする。が、必死にそれを支える。今まで体を引き摺ってきた腕だが、何処にそんな力が残っていたのかと思うほどに、僕の意識に答えてくれる。 犬から視線を反らして横に目をやると、遠巻きにしている犬達の姿があった。今の所は襲い掛かるつもりはないらしい。が、隙あらば、見逃すつもりもないらしい。 この犬を交わした所で、僕は他の犬に殺されるのだろうか。大体、5匹の犬に一斉に襲い掛かられたら、それで終わりだろう。 腕が強引に折り曲げられる。圧し掛かる犬の力が僕に勝りつつある。犬の荒い息が間近に感じられる。熱い。すぐそこに死がある。 しかし、僕はまた腕に力を込めようとした。腕はもう痛い。枝も軋んだ音を立てている。よく今まで持っているものだと思う。 もう無理だ。 ――ここまで死が迫ってきていて、諦めるなんて、そんな選択肢を選ぶのは、無理だ。 僕は歯を食いしばって最後の力を腕に込めた。多分僕は遅かれ早かれ死ぬだろうが、それを自分の意思で選ぶ事はどうやら無理そうだった。 |