| ――平和になれば。 ミッターマイヤーは思う。それはこの日、度々繰り返してきた言葉だった。妻の笑顔と、この夕方に出会った子供達の熱っぽい表情が脳裏に浮かぶ。 そんな日もやってくるだろう。 親友の別荘に妻と子を連れて休暇を過ごしに行く。そんな日もやってくるだろう。出来れば護衛すら必要ない日々がやってくればいいのだが、俺達の地位がそれを許さないかもしれない。その日々には引退しているかもしれないが、「過去に栄光を持つ」人間すら狙うのがテロであるから。 それでも何時かは、それなりに安らかな日々が送れるようになればいい。俺も、家族も。彼も。――民全ても。 そのために俺は戦っているのだから。 ――そうでなくては、他の人間を殺してまで、部下を死地に追いやってまで、生き残れる訳がないのだから。 そこまで考えが行った時点で、ミッターマイヤーは溜息をついた。瞼を伏せ、唇を軽く舐める。――どうも殺伐とした事を考えてしまっていた。今晩、玄関先でも思ったが、やはり俺は何処か殺伐としているのだろう――そう思うと、妻や子供達の折角の笑顔が色褪せていくような気がした。平和を志向する以上、それではいけないと彼は思う。 彼は自分に常時「死」が付き纏う事は判っているが、それを打ち消したくなった。瞼を硬く伏せ、顔を横に数回振った。その度に後ろ髪が彼の首筋を軽く叩く。くすぐったいような痛痒いような、妙な感触が彼に伝わる。 そして彼は瞼をうっすらと開く。視界には相変わらず薄闇が広がっている。硬く瞼を伏せていたために眉間に相当な皺が寄っている気がして、彼は指を眉間に当てた。 気分を変えよう。そう思い、彼は口を開いた。まだ起きているか判然としない親友に向け、口を開く。 「――俺が子連れなら、卿の元にも子供がいるのだろうな」 僅かに明るさを増した声が静かな室内を駆け抜けていく。が、反応はない。寝てしまったのだろうかとミッターマイヤーは判断した。無理もないかと思いつつも彼は腕を組む。 すると。 「………俺に、か?」 ミッターマイヤーの台詞が発せられてからかなりの間を置いた事になるが、ロイエンタールの声が返ってきた。その声の調子からしてかなり驚いている事はミッターマイヤーの想像に難くなかった。 「おかしいかな?」 ミッターマイヤーはミッターマイヤーで、腕を組み替えつつそんな事を言う。確かに冗談半分の発言だったが、本気も半分だった。自分に子が生まれる以上、ほぼ同年代である親友も家族を持っておかしくないだろう。彼はそう思っていた。 「俺は確かに漁色家だが、そんなヘマはしない」 一方のロイエンタールからは若干冷たい響きを持つ声が返ってくる。彼は彼でミッターマイヤーが何故そんな戯言を言い出したのか理解不能だった。そもそも彼が女性に愛情を注がない漁色家である事を一番痛感しているのは、他ならぬこの親友であるはずである。それが何故、このような事を言うのだと彼は思う。 ミッターマイヤーはそんな親友が何故か必死に否定しているような気がして、苦笑気味になってしまう。未来には何が起こってもおかしくないだろうに、そこまで否定する事か?――彼は親友のトラウマめいた過去を知らない訳ではないが、それを含めてもどうにもこの言動は子供めいているような気がした。 「おい…そうではなくて、卿が愛する女性と結婚して、その女性と共に子を育てるという事は、そんなにあり得ぬ事なのか?」 「あり得ぬ」 即答だった。取り付く島すら見当たらない。しかしミッターマイヤーはその答えににやりと笑った。 「今はどうとでも言えるな」 「俺の気持ちは俺自身が一番判っている。知った口を利くな」 ――果たして本当にそうかな? ミッターマイヤーはそう返してやりたい気分だった。が、どうも親友の不機嫌さが声から伝わってきていたので、それ以上は言わない事にした。今日は微妙な会話が多かったと言うのに、寝る前にもなってまた蒸し返してどうすると思ったからだった。 彼は口元を押さえて微かにこみ上げてくる笑いを噛み殺す。軽く手を挙げて彼は部屋を後にする事にした。 手を挙げても相手からは見えないかもしれない。彼がその可能性を思い出したのは、居間の扉を静かに閉めた後の事だった。 |