ミッターマイヤーが居間に戻る頃には、彼の冷たい手は再び熱を取り戻していた。
 そして彼が親友が待つ居間に顔を見せた時、当の親友は自らの上着が掛かったハンガーを手に取っていた。その隣のハンガーにはマントも下がっており、一糸乱れない整理の仕方は普段通りの彼である。酔いは全く見られない。
「――そろそろ休むか?卿も明日は仕事だろう?」
 親友の背中を眺めつつ、ミッターマイヤーはそう呼びかけた。時計を見るとそろそろ日が替わりつつある時間帯だった。戦時ではないとは言え、日勤で通常業務は行われる。自分達の都合で勝手に休暇を取る訳にはいかない。少なくともミッターマイヤーはそう考えていた。
 彼の台詞にロイエンタールは振り返る。ハンガーから視線を外して親友を見た。
「ああそうだな。すまんが毛布を貸してくれんか」
「…何を言っているのだ?」
 親友の回答に、ミッターマイヤーは部屋の入り口でぽかんとしてしまう。またしても彼の予測の範疇を超えた台詞だった。
「独り身には広い一軒家だ。独り分の客間ならあるぞ」
「いや、何せ予告無しで飲みに来た身分だからな。ソファーで充分だ」
 そう答えたロイエンタールは、今まで酒を酌み交わしてきたソファーを撫でた。確かにそれは3人は座れる長いソファーであり、長身の彼でも体を横たえる事は出来る代物である。新品に近くその質も高いソファーであるので、座り心地も非常に良かった。ならばおそらく寝心地もいいだろう。
 ――しかし毛布を要求するなら、客間を貸すのと手間暇では変わらんのではないか?
 ミッターマイヤーはそう思ったが、これもまた親友なりに気を遣っているのだとも判っていた。ソファーと毛布があるのならばそこまで劣悪な環境ではない。彼らは最前線で戦ってきた身であり、とても休息を取れそうにない環境においても体を休める事が出来た。
 が、それにしても、ズレた気の遣い方だ。ミッターマイヤーはそう感じるが、その親友の感覚のズレも微笑ましく思える。今までの会話は「あの女」の話題が絡んだせいか、何処となくぎこちなかった。しかし今、普段のように奇妙な気の遣い方をされている。それは普段通りの自分達の関係を思い起こさせて、ミッターマイヤーは嬉しかった。
「判った。少し待っていてくれ。毛布を客間から持ってくる」
「ああ、すまんが頼む」
 ミッターマイヤーはそう言って再び廊下に消え、ロイエンタールは彼に対して片手を上げた。
 冷静に考えたなら「わざわざ客間から毛布を居間まで持ってくる」と言う行為は、単に客間を貸すよりも手間が掛かっているかもしれない。
 が、ロイエンタールにはそこまで意識が及ばないようだった。ミッターマイヤーが感じる意識のズレが出ているのか、或いは本当は酔いが回ってしまっていて頭が回らないのか。ロイエンタール自身は自らの行動を変だとは思わないため、その行動の自己分析は適わなかった。

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  ミッターマイヤーは、使われた事がない客間から、使われた事がない毛布を引っ張り出す。この家を借りてからそう長い時間が経っている訳ではないので、毛布も新しさを保っていた。空調が効いていて過ごし易い家の中で尚、この毛布に包まれて眠るのは心地良いだろうと思わせる。
 彼がその毛布を抱えて客間に戻った時には、ロイエンタールは既にソファーに横になっていた。ソファーの足元には靴をきちんと並べられている。彼自身はソファーに置かれていたクッションのひとつを頭の下に敷き、横倒しの姿勢で寝転んでいた。
「――眠かったのか?」
 ミッターマイヤーはそう呼びかけつつ、手の中の毛布を広げた。丁寧に親友の体にかけてやる。首元から覆うようにかけてやると、しっかりと足元まで包み込む広さがあった。
「ああ…すまんな。急に眠くなった」
 自らに掛けられた毛布を、中から手で整えつつロイエンタールはそう答えた。瞼を押し上げてミッターマイヤーを見上げる。
 ミッターマイヤーはその親友の瞳に、微かな眠気を読み取った。他の人間ならば気が付かないレベルの変化だろうが、親友には判る。が、本人が眠気を口にしているのだから、今更ではある。ともかくミッターマイヤーは屈み込み、親友の顔を覗き込んで言う。
「疲れているのだろう。明日も仕事だ。眠いならその欲求に素直に従った方がいい」
「そうしよう。――卿も俺の事は気にせずに休め」
「そうするつもりだ」
 そう言ってミッターマイヤーは立ち上がった。大きく伸びを打つ。両腕を上に伸ばし、少し唸った。夕方に走り回った事で解消されたと思っていた肩凝りが、また僅かにぶり返してきたように思えた。――やはり俺も疲れているらしい。日も替わりつつあるから休むとしよう。彼がそんな事を考えていた時、ロイエンタールは言う。
「身支度もあるから、朝は早くに起きて出て行くつもりだ。気にするな」
 ミッターマイヤーは振り返る。親友の体を見下ろした。少し首を捻り、ミッターマイヤーは自らの髪に手をかけた。軽く掴む。
「………そう言われると、ますます今日、俺の家に来た理由が判らんのだが…」
 確かに元帥府の最高責任者として身なりを整える事は必要だろう。戦時ならば多少の乱れは気にされないだろうが、平時となればそうもいかない。元帥府の自室にもそれなりの備えはあるだろうが、出勤中にも官民問わず様々な視線に晒される身分である。下手な姿では出勤出来ない。
 しかも、美丈夫と評判のロイエンタール元帥である。当人は全く気を遣っているつもりではないのだが、その「気を遣っていない」レベルが普通の人間とは比較にならなかった。その決まっている伊達姿が更に女性の目を惹く事になるのだが、彼は全くその事に気付いていない。あくまでも彼は普通にしているだけだ。
 だからミッターマイヤーには、ある程度の不具合を生じてまでロイエンタールが自分の家に来た理由が理解できない。自分との付き合いは、たとえ日常レベルであってもそこまで犠牲を払う事かと思うからだ。
「何度も言わせるな。卿と酒が飲みたかっただけだ」
 ロイエンタールは以前と同じ台詞を口にした。彼は彼で、ミッターマイヤーにどうしてそんな事を訊かれるのか理解出来ていない様子だった。
 その親友の様子を見ていると、ミッターマイヤーは親友の行動原理を理解せざるを得なかった。感情ではいまいち理解出来ないが「こいつはこういう奴なのだ」と乱暴に理解するしかなかった。
 付き合いがある女性を置き去りにし、半ば自業自得である負の噂が立つ事も気にせず、身支度するために早朝に帰宅しなければならない。それらの不具合を天秤にかけてまで、自分と酒を飲む事が嬉しい事なのか。ミッターマイヤーは嬉しい反面、心配になる。

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