酒盛りと軽食は、それらの飲食物が胃の中に片付いてしまった事により終わりを迎えた。
 家の主人であるミッターマイヤーはテーブルに並べられていた食器を台所に片付けていく。ふたりだけであったし消費された飲食物も少なかったため、それ程手間は掛からない。
 ロイエンタールも皿を重ねて台所に持って行き、ミッターマイヤーは自分でその食器類を洗う。帝国軍最高幹部のふたりによって後片付けがなされていく光景は、他の人間が見たらどう反応していいものか判らない代物だろう。
「――それにしたって、何故卿は今晩俺の家に来たのだ?」
 ミッターマイヤーは流しで皿を洗っている。その皿を洗う水音に混ざりつつ、彼はふと背後に居るであろうロイエンタールに声を掛けた。以前同じ質問をした気がするが、結局答えになっていなかったような気がしたからだった。
「用がなくては来てはいかんのか?」
 ロイエンタールの声がそう答えた。意外そうな声の調子だった。
「そうではないが…」
 ミッターマイヤーは後ろを振り向いた。そこにはロイエンタールが立っていた。酔ってはいるようだが表情には殆ど表れていない。生真面目な顔をして髪も服も乱す事無く、両手で何枚かの皿を重ねて持ってきている。その、普段のロイエンタールからすれば少々アンバランスな状況に、ミッターマイヤーは一瞬口篭った。
 ――自宅には使用人が居るのだからこんな事しないだろうなあ。俺位だよなあ。奴をこんな事に使い、奴も不満を言わないのは。彼はそんな事を思っていた。が、すぐに言葉を継ぐ。
「…先客をオペラハウスとやらに置き去りにしてまで来るような事なのか?」
「俺にとってはそうだ」
 ――何を今更。
 そう言いたげなロイエンタールの顔がミッターマイヤーの背後にあった。そしてロイエンタールはそのままミッターマイヤーの隣に立った。ミッターマイヤーが横に一歩分ずれると、ロイエンタールは流しの脇に彼の手の中の皿を置く。
「…しかし、一応先客と言う用事があったのだろう?」
「あんなつまらん女の相手を何時間もやれる程、俺には奉仕精神は備わっていないのでな」
 ミッターマイヤーは皿を洗い、洗った分から籠に置いていく。ロイエンタールはその隣に立って手伝うでもなく眺めている。目を合わすまでもなくふたりの会話は続く。
「奉仕精神かどうか知らんが、先約だった用事はきちんとこなすべきではないのか?」
「俺を失望させたあの女が悪い。契約不履行を責めるならばあの女だ」
「…どんな詭弁だ」
「確かに詭弁だな」
「………あのなあ」
 ミッターマイヤーは肩まで使って大きな溜息をついた。訪問の動機に特別な用件はない、先客の女性を置き去りにした事に関しては悪いとは思っていない、自分の論理は詭弁だと判っている――相手のこの論旨に彼は溜息をつくしかなかった。どこも攻めようがない。
 彼には、この親友にとって自分の優先順位が高いのは良く判っている事ではあるが、その優先順位を上手く利用されているような気がしないでもなかった。
「大体…下らない女ならば、さっさと別れてしまえばいいだろうが」
 苦々しい表情を浮かべ、ミッターマイヤーは吐き捨てるように言った。彼の視線の下では洗剤で泡立った水などが排水溝に流れていっている。それに対してロイエンタールは悠然と言う。
「それも考慮すべきではあるが、何せあの女は俺が破滅する所を見たいらしいからな。良い趣味ではないか」
「その理由だと卿が無事な限り、あの女は出て行かない事になるだろう。全てはあの女の自由意志に任されると言う事か」
「後は、あの女の意志の強さだな」
 ロイエンタールは悠然と会話を続けていたが、ミッターマイヤーの手元が狂ったか、皿を置いた際に皿ががしゃんと音を立てた。皿が傷付く事はなかったようだが、立て掛けられていた皿が一部倒れる。
 ロイエンタールがそれを指摘しようとしたが、その前にミッターマイヤーが口を開いた。皿の殆どが既に洗われた状況であり、ミッターマイヤーは流しに俯き加減になる。
「全く…俺には判らんし、下らんぞ、それは。何故そこまで歪んだ関係を続けるのだ――?」
 俯いたミッターマイヤーの視界の向こうに、蛇口から水が無為に流れ続けていた。
 彼の顔が歪む。彼には親友の考えが判らない。理解しようとして話を訊いても、彼が許容出来る範疇を遥かに超えている。
 自分とは関係がない男女の関係を「歪んでいる」と評するのは傲慢だとは、ミッターマイヤーにも判っている。しかし彼に理解できず、更には「相手の破滅を見たい」とは一般論としてもあまり好ましい関係とは思えないため、彼の口からそのような表現が出てきてしまう。
 隣に立っていたロイエンタールにも、ミッターマイヤーの顔が歪んでいるのが見えていた。それを知った彼は、内心少し戸惑う。またしても妙な展開になってしまったと思った。酔いのせいか少し視野が狭まっている気がして、彼は眉間に指を当てた。
 それから彼は手を顔から離し、そのまま伸ばした。ミッターマイヤーの肩を抱く。親友の肩口に顔を近付け、言った。
「卿が思い悩む事ではない。俺と、あの女が――何処か歪んでいるだけだ」
 ミッターマイヤーは俯いたまま何も答えなかった。手元が止まっている事を思い出し、残り少ない皿を洗い始める。水で手は冷たくなりつつあった。
 ――そう言う事をさらりと言うから、俺は卿が心配なんだよ。
 そんな台詞を言おうと思ったが、やはり徒労になりそうな気がしたので、彼は止めた。肩にしっかりと触れる親友の手は暖かい。それはいつも通りの事であり、彼はそれに安心したくなった。

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