| 元々用意されていた酒や食物もそう多くはなかったし、双方共に明日も仕事を抱えた身では長々と酒盛りを続けるつもりはなかった。アルコール度数もそれ程高くないビールが数本程度空けられた事になるが、それでもそれなりに酔いが回っている。互いに疲れているのだろう。 「――良き子供達…か」 ロイエンタールはテーブルの上に並ぶ空のビール瓶に名残惜しい視線を投げかけつつ、自らのグラスを傾けた。 「ああ。オーディンの子供達と同様に、いい子ばかりだったぞ」 ミッターマイヤーは微笑を浮かべ、最後のグラスを煽る。皿の上に並ぶ食物もすっかり片付きかけている。 「俺達は進駐軍なのだから、石を投げられてもおかしくはないと思っていたがな」 「そうとも限らんようだ。多少の反感はあれ過度な反抗が行われないのは、やはり無血開城させたのが大きいのだろう」 「民と言う奴は自分達の生活が守られさえすれば、政治体制などどうなろうと良いと言う事か」 「結局、民衆なんてそんなものだろ?俺だって子供の頃はそうだったよ」 ミッターマイヤーは平民であるが、子供時代から生活には困窮していなかった。父親は造園業を営み、それは軌道に乗っていた。だからこそ「遠縁の少女」を養う余裕もあった訳である。無論、貴族の存在を理不尽だと思わないでもなかった。しかしそれは彼に過度な反抗心をもたらす事ではなかった。 貴族に対して本格的に首を傾げざるを得なくなったのは、彼が軍人となりそれなりの地位を得てからの事である。自らに権限があるのに貴族の不可侵特権によってそれが脅かされる事がしばしば起こると、彼も憤りを覚えつつあった。 逆に言えば自分に何の権限もなく、貴族との接点も殆どなければ、不利益も発生しない。感情的な反感しか持ち得ない。おそらく現状のフェザーンの民衆もそれに当たるのではないか。実利さえ守っておけば進駐軍に対する反感は単なる不満であり、それはガス抜きのための必要悪に過ぎないだろう――彼はそう感じていた。 今日、子供達が自分に最初に抱いていたであろう、反感と警戒が思い浮かぶ。そしてケネスに頼まれたヴィンセントと言う子供の話も連想される。漠然とした反感は「普通の軍人」に出会った事で好意へと変質する。その程度の事だろうと彼は今日思った。 無理に良い軍人を演じなくとも、普通に応対すればいい。無論進駐者だからと言って高圧的に振舞っては、漠然とした反感は実体験に取って変わってしまうだろう。そのような軍人が現在も皆無とは言えないとは、彼も判っていた。 「――何にせよ、子供とはいいものだ」 ミッターマイヤーの思考は、結局はそこに行き着く。旧帝国時代にも帝国の子供達には好意に満ちた視線を自分に対して送られたものだし、今日のフェザーンにおいても子供達はいい笑顔をしていた。あのような良い笑顔を崩したくはないと彼は思う。彼にとって子供とは守るべき象徴のひとつだった。 満面の笑顔を浮かべ、ミッターマイヤーは空になったグラスをテーブルに置いた。陽気な気分になっている様子だった。そんな彼を見やり、ロイエンタールは問いかけた。 「卿は、子供が欲しいのか?」 その問いに対し、ミッターマイヤーは固まってしまう。 ロイエンタールにとって、子供は特別愛着を持つ存在ではない。それは彼の成長過程において育まれる事がなかった感情だった。 ――確かに子供とは弱者ではあるが、只それだけの存在だ。社会的に庇護すべき存在ではあるが、それは大人の義務であり、それ以上でもそれ以下でもない。彼の中の「子供」の概念とは、そんなモノに過ぎなかった。そのために、「子供」に対して肩入れするミッターマイヤーの感覚を、彼は理解出来ないのが常だった。 だから、こいつが子供に対して愛情を持っているのは、自分が子供を持ちたいからではないのか?――ロイエンタールはそう考えていた。 ミッターマイヤーは腕を組んだ。瞑目して考え込む。ロイエンタールが言うように、自分が子供が欲しいから子供に好感を持っている訳ではないが、それを完全に否定するつもりもなかった。 彼は腕を解き、頭を軽く数回振る。空調によって乾き切った後ろ髪が彼の首筋を撫でた。そして彼は口を開いた。 「………そうだな。もし居たら、俺がこんなにも長く家を空けても、エヴァも寂しくないだろうな」 苦笑気味の台詞だった。自分が子供を持つ事を考えた場合、妻の存在を忘れる事は出来なかった。 帰宅途中にも考えた事ではあったが、フェザーンに新首都移転が確定すれば妻と同居出来るようになるだろう。そうなれば、帝国版図のほぼ中央に首都星が位置する事になる。そうなれば、今までのオーディン時代よりも軍事行動の際の移動距離を減少出来る可能性が高くなり、時間的余裕も出来るだろう。 現状では彼ら夫婦には子供がいなかった。そのため、ミッターマイヤー不在時には妻のエヴァは独りきりで暮らしている。それを寂しいと思うかどうか、夫は妻に尋ねた事はない。妻の性格から考えると寂しいと意思表示するとは思えなかったし、だからと言って無理に言わせようとも思わなかったからだ。しかし、妻は寂しいかもしれないと類推する事は出来た。それが彼に幾分の心苦しさを抱かせる。 そんな動機から子供を欲するとなると、子供に夫不在の代償行為をさせる事になる。それは別の心苦しさを彼に抱かせるが、彼が子供を欲するならばその動機は代償行為が全てではない。純粋に子供が自分の元にいたらいいなと、そう思う感情が大半である。 ロイエンタールはミッターマイヤーの表情を伺うように見ていた。グラスを傾けると、僅かに残っていた液体が底に揺らぐ。一口分程度の量が残っていた。しかしどうにも飲む気が沸かず、彼はそのグラスをテーブルに置いた。 「そして父親は子育ての大変な部分を背負う事無く、子供の成長だけを見守ると言う訳か。全く、帝国軍元帥の夫を持つべきではないな」 「まあ…そうなるのかな」 ある意味皮肉めいた台詞だったが、ロイエンタールの口調は淡々としていた。そのためかミッターマイヤーは苦笑するだけだった。実際に事実を言い当てている可能性があるため、ロイエンタールの発言に怒りを感じないのかもしれない。 「ともすれば、子供に父親と認識されないかも知れんな」 「年単位で帰ってこなかったら、それもあり得るだろうなあ…」 これもまた実現の可能性がある仮定である。実際に現在ミッターマイヤーは妻と離れて1年近くになろうとしているのだ。平和になり出征の機会が減ればそんな事もなくなるかもしれないが、それもまた仮定に過ぎない。しかしミッターマイヤーは苦笑を浮かべ、髪を掻き回した。 「――まあ、卿とあの奥方ならば、良い父親と母親になれるだろうさ。子供も幸せに育つだろう」 「俺もそれを願いたいものだ」 全ては仮定の話に過ぎないが、ミッターマイヤーは笑顔で頷いていた。それを見てロイエンタールは少しだけ口元を綻ばせた。 |