| 楽しげな親友の笑みを見つめながら、ミッターマイヤーは軽く驚いていた。少しだけ瞳が見開かれる。 そこまで驚く事ではない。が、驚かない事でもない。彼にとってそれは、微妙な事実であった。 彼が驚いていたのは、時間にして数秒のみだった。すぐに彼は軽い溜息をつく。瞼が半ば下り、片手を額に当てる。 「捨ててきたとは穏やかではないな…」 呟くように彼は言う。彼には別に諭すつもりはなかったが、それを受け取る側にはどう解釈されるかは判らない。親友の台詞を訊き、ロイエンタールは再び鼻で笑った。それは楽しげと言うよりは、むしろ嘲笑に近い笑い方だった。 「置いてきた――と言えば満足か?」 片手を広げ、ロイエンタールはミッターマイヤーに対してそう言った。それに対してミッターマイヤーは眉を寄せる。彼はそのような言い換えに意味を感じないし、ロイエンタールもまた、自分の言い換えに意味など感じていなかった。 「何処に置いてきたのだ?」 ともあれ、当の本人が言い換えたのである。ミッターマイヤーは意味を感じないがそれに倣い、その表現でロイエンタールに訊いた。 「オペラハウスだ。――何、金もあるのだし、帰宅できるだろうよ。それこそ子供の使いでも出来る」 「ならば…大丈夫か」 ミッターマイヤーは大きく溜息をついた。彼は安堵していた。どのような女性であろうとも酷い事にはなって欲しくはない。オペラハウスであればフェザーンの名士が揃っているだろうし、困っていれば職員が話を聞いてくれるだろう――そう彼は思った。 そんなミッターマイヤーの心配と安堵をよそに、ロイエンタールは相変わらず笑っている。酒を飲み、グラスを置き、両手を広げた。喉の奥で笑いながら、言う。傍から見れば、間違いなく酔っていると判断される程に芝居掛かった行動だった。 「無礼な女だと言うのにその辺りの通りに置き去りにしないとは、俺は何と優しい男かと思うよ」 「…心にもない事を言うなよ」 親友の台詞に、ミッターマイヤーは眉を寄せた。親友の偽悪的な部分は判っているし、女性に対して優しいようで冷たい部分も知っている。そしてその原因と言うべきトラウマも知っていた。だから、親友が何故このような行動を取るのかは、理性では理解していた。 しかし、実際にこのように女性に対して酷い行動を取ってみせる。しかもそれに対して反省もしていない――ミッターマイヤーはそれらを目の当たりにして、理性のみで納得出来るような人間ではなかった。だから彼は、眉を寄せたまま溜息をつき、親友をたしなめるような台詞を口にした。 するとロイエンタールは顔を上げた。ちらりとミッターマイヤーを見る。少しだけ口元を歪め、ミッターマイヤーを覗き込むようにして言う。 「ミッターマイヤー元帥は相変わらず良識家で、女性に優しい事だ」 親友の相変わらずの偽悪的な態度に、ミッターマイヤーはますます溜息をつくしかない。首を横に振ると、まだ僅かに水分が残った髪が軽く揺れた。 「冷やかすな。只、女性には酷い事をしたくはないだけだ」 そう言ってミッターマイヤーはグラスに口をつけた。口の中に染み渡る液体が妙に苦く感じられる。――何故こんな話になるのだ。彼は疑問に感じるが、時既に遅しとは彼自身判っていた。 ロイエンタールはミッターマイヤーの台詞を訊いて、ほうと口の中で言う。感嘆の声であったが、どうにもわざとらしい。右手で前髪を掻き上げ、目許にその手を当てた。肘をテーブルに突く。細められた瞳には酒精が踊っているようで、幾分濁りが見受けられた。どちらが先か、女性の話題を交わしながら酒を飲んでいると、悪酔いしてきているらしい。 ともかくロイエンタールは手を上げた。しなやかな左手が中空を切る。その向こうで口が動き、ミッターマイヤーに台詞が投げかけられた。 「――卿はあの女を追い出す事を望んでいるのではなかったか?」 その台詞が耳に入ると、ミッターマイヤーの思考が立ち止まる。 「…それは」 ミッターマイヤーは短い言葉を言う事しか出来なかった。何かを言おうとして、口ごもってしまう。 それに対してロイエンタールは饒舌である。中空にある左手を動かしながら、片肘を突いたままで口から言葉がついて出る。酔いのままに紡ぎ出しているのか、勤務中の彼しか知らない人間が見たならば奇妙な行動に思えただろう。 「金を与えて追い出せとは、相当に酷い男の発言だと思うが?俺はあれを訊いて、卿の優しさは妻以外の女には注がれないのかと思ったものだよ」 親友の片手で自らを指し示されたミッターマイヤーは、グラスに口をつける。中の液体は殆ど消費されていた状態であり、彼はグラスを傾けてそれを全て飲み干した。息を止めてアルコール分を摂取すると、急に酔いが回ったような気がする。瞼が熱い。彼は目を閉じて、指で瞼を押さえた。 「卿にとってあの女は好ましくない」 「だから、追い出せ――か」 「…そうだ」 ミッターマイヤーは酔いに任せて熱い息を吐き出すと共に、肯定の言葉が口をついて出る。喉の奥に妙に苦味が感じられ、彼は眉を寄せた。ビールの苦味が口の中に残っていたのだろうが、それ以上の何かがあった。 空のグラスを握り締めたまま苦味を我慢しているような表情を浮かべている親友を、ロイエンタールは見ていた。ふと思いついたのか、栓抜きを手に取って新たに瓶を開けようとする。が、彼は栓抜きを栓にあてがった段階で、それを思い止まった。冷蔵庫から出されて1時間程度は経っているだろうが、まだまだ冷たい瓶の感触が手に伝わるに任せる。 テーブルの上に置かれたままの自らのグラスと、親友の手の中にあるグラス。ふたつの空のグラスをロイエンタールは見比べた。そして親友の顔に視線をやると、彼の親友は未だに眉を寄せ、指で瞼を押さえて瞑目していた。 それを見てロイエンタールは溜息をついた。――何故こんな話になったのか。ミッターマイヤーも先程それを疑問に感じていたが、ロイエンタールも今そう思った。そしてミッターマイヤー同様に、彼にもその理由が判らなかった。 判らないままだったが、彼は基本的に理論を重んじる人間である。そのために相手の態度に疑問を感じた時点でそれが口をついて出てきた。それは目の前の人間が親友であろうが、変わらない。 「――俺も相当に酷い男だと思うが、卿もあの女に限るならば相当酷い扱いを示唆していると思うがね」 ミッターマイヤーは親友の発言に対し、何も言えなかった。 |