丁度いい温度の湯を体に浴びると、やはり心地良さを感じる。
 シャワールームの広さは、余程の豪邸でない限りはあまり家の広さとは相対しないものである。しかし備え付けられている洗顔料や洗髪剤の類の種類は、独り身となればやはり違っている。それなりの棚に数個程度しか並んでいない状況であった。
 部屋の隅にある排水溝に向かって流れていく水分を眺めてみると、自分の体が微細な泥に汚れたままであった事にミッターマイヤーは改めて気付く。軍人としての戦闘訓練でもやった後とまるで一緒のように感じた。しかし戦闘訓練とは違い、本当に心地良い疲れしか感じていない。彼にとってあれは良い程度の運動でしかなかった。
 軽く髪を濯いで彼はシャワーを止める。シャワーであるからそれ程長い時間をここで過ごす訳ではないが、今日は客がいるために普段以上に短く済ませるつもりだった。
 ――この鍋の湯が沸いたらこれを入れて数分間ボイルしてくれたらいい。
 彼は先程の会話を思い出す。――考えてみたら、それ位の事は出来なくてはおかしいのだ。何せ俺達は軍人なのだから、野営の際の食事の準備などを学んでいるのだ。…そんな事をしなくなって何年も経つのだが…。
 そう思うと苦笑していいものか、心配していいものか。ミッターマイヤーとしては、彼の親友のレベルをどう定めるべきなのか悩んでしまう。しかし彼の妻から見れば、自分と親友のレベルなど五十歩百歩だとも気付いている。そこまで思考が行くと、苦笑する方を選ぶ事となった。
 ともかく早目に戻る事にしよう。ミッターマイヤーは体の汚れを洗い落とし、シャワーを切り上げた。いい感じに体が冷えて心地良かった。水分を拭き取り衣服を纏えば、それは心地良い暖かさになるだろう。





 結論としては、ミッターマイヤーが選ぶべきは「苦笑」であったようだった。
 彼が綺麗に洗濯された部屋着を纏って居間に戻った時には、そのテーブルの上には皿が並んでいた。その上には彼が指示した通りの食材が、彼が指示した通りに処理――ボイルするだけの行為を「調理」と呼ぶならば、紛れもなく調理であるが――されていた。
「――おい、これでいいのか?」
 戻ってきたミッターマイヤーを見るや否や、ロイエンタールはそう言った。腕を組み、心なしか満足げな顔をしているようだった。どうやら指示された事を上手くやってのけた事が、彼の自尊心を刺激しているらしい。
 ミッターマイヤーはテーブルを視線で薙ぎ、次いでロイエンタールの顔を見た。ロイエンタールの顔が誇らしげな事に気付いたのかそうでないのか、ミッターマイヤーは笑う事もなく顎に手を当てて、只簡単に頷いた。
「……うん、いいよ」
 只、作業を確認して見せた。親友のそんな反応に、ロイエンタールは眉を寄せる。腕を組んだまま訊いた。
「どうした?何か問題でもあるのか?」
「いやそうじゃないけど…」
「では何故そんな顔をしている」
「いや……卿にもこんな事が出来たのだなあと、ちょっと感心している」
 顎に手を当てたまま自分に納得するように軽く頷き続けているミッターマイヤーを見て、ロイエンタールは呆れてしまった。自分をそこまで低く見ていたのかと、ロイエンタールは少々気分を害した。態度には出さないように心がけたが、それでも一端は口調に出てしまう。
「このような事は子供にも出来る。大体、士官学校で習うぞ、この程度の調理法は」
 ――………いや、その「子供の使い」のレベルすら、卿に出来るだろうかと、俺は心配していたのだ。
 そんな台詞がミッターマイヤーの口から出掛かったが、喉の辺りで押し留めた。
 洞察力に優れているミッターマイヤーである。現状でもロイエンタールが少々気分を害している事は判っていた。そこにこんな台詞を投げ入れたら、火種に油を投げ込むようなものだ。だから言わない事にした。
 そして、早急にこの話題を打ち切る方が懸命だと判断する。彼は生乾きの髪を、肩にかけたままのタオルで軽く拭った。そのままにこやかな笑いを浮かべた。
「まあいいじゃないか。早く食べよう」
 半分は計算だが、残りは本心からの笑みだった。玄関先とは違い、今度こそ疾風ウォルフが先手を取ろうとする。腕を組んだままのロイエンタールに対してそう呼びかけ、ビール瓶を手に取った。栓抜きを再び持ち、さっさと抜こうとする。
 ロイエンタールも、その行動に、僅かばかりの計算を見抜けない訳ではなかった。しかしそれを差し引いてでも、ミッターマイヤーの微笑みは柔和で爽やかで人好きがするものだった。そして彼は親友のこんな表情が大好きだった。
 ――下らない事に憤慨している場合ではないな。ロイエンタールは自分が拘っていた事が些細な事であったと思い出し、少し鼻で笑った。腕を解き、片手で前髪を掻き上げた。ミッターマイヤーに対して目を細める。親友ほどではないが、彼なりに柔和な顔をしていた。そしてそんな顔はおそらく、今までこの親友にしか見せていなかった。

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