ミッターマイヤーの現在の住まいは、こじんまりとした一軒家とは言え、独りで暮らすにはやはり広い代物だった。 彼はは帝国元帥と言う要職に就いている以上出張も多い。たまの休日にも外に出てしまう事が殆どだ。そのため、普段の生活に使わない部屋や箇所については、全く手をつけていない状況だった。それでも屋内は散らかってはおらず、生活用品や衣類などは所定の場所に収納されている。整理整頓はきっちり出来る人間であるようだった。 「――奥方がおらぬでも、部屋の様子は変わらぬようだな」 結局親友の家に何食わぬ顔をして上がり込んできたロイエンタールは、玄関先から屋内を見通してそう言った。彼は男の独り暮らしの一般例として、雑然とした部屋を想定していたらしい。 「食事は外で摂る事が殆どだし、洗濯物は数日に一回程度業者に頼んだりしているからな」 ロイエンタールの広い背中を間近に見つつ、ミッターマイヤーは後ろ手で玄関の扉を閉めた。一定の操作を経て、再びセキュリティが作動する。 「結局、家では寝に帰るだけだからな。いっそ元帥府の執務室に泊まり込んでも構わぬ位だ」 ミッターマイヤーは苦笑気味にそう言い、片手を髪にやる。公園で軽く洗った髪は殆ど乾いていたが、その分夜の冷気を吸い込んでしまっていて幾分冷たい。 「奥方が不在では、帰宅してもつまらぬだけか」 「それに近いな」 親友の前に立ち、ミッターマイヤーは廊下を先導する。灯りをつけると、足元の板材の木目が明らかになる。古さを感じさせるが、丁寧に補修され続けているようであり、痛みを感じさせない。それなりの資産を持つ人間が、維持を続けてきた家屋であるらしかった。 狭くはないが広くもない一軒家のため、玄関からそれ程歩数を費やす事もない。ミッターマイヤーが一室の前に立ち、室内の灯りをつける。 彼が扉を開けると、あまり人の気配が残っていない居間がそこにあった。床には簡素な絨毯が敷かれ、ソファーやテーブルなどの調度類も備え付けられている。しかし、それが使用されている形跡は、ロイエンタールにはあまり感じられなかった。――独り身ならば当然か、と彼は合点した。彼もミッターマイヤーのフェザーン宅に来たのは初めてであったが、ミッターマイヤーの部下もここに来ていなかったのかと感じた。 「――何せ寝るために帰る日々が続くのでな」 ミッターマイヤーが笑顔でソファーを指し示す。ロイエンタールはそれに倣い、そのソファーに腰を下ろした。柔らかく受け止めてくる感触は、その調度が並の品ではない事を感じさせる。が、この調度を家主は殆ど使った事はないだろう。 「帰宅したら着替えてシャワーを浴びて、後は寝室に引っ込んで寝るだけなんだよ」 「寂しい生活だ」 「国体が安定しないうちなのだから、仕方ないさ」 会話しながらミッターマイヤーは居間の外へ出て行く。ひとまず手にしたマントと軍服の類を廊下の脇に置いてある洗濯籠に放り込み、その足で台所へ歩いていった。 ロイエンタールはそれを見送った。会話の相手が居なくなったので居間を見渡してみる。調度類ばかりが揃っていて、その中身――皿やグラスなどの食器類や、書籍類――が極端に少ないように思われた。やはり独り身には広過ぎる家らしい。 ――帰宅するだけで、侘しさを感じるのかもしれんな。ロイエンタールは親友の心情を鑑みた。 が、その思考は長くは続かなかった。先程の暴漢云々のように真剣な思惟ではなかったし、待ちわびていた親友がすぐに戻ってきたからだった。 「――すまんな。さっきも言ったように、自宅では殆ど食事をせんのだ」 ミッターマイヤーは苦笑していた。その手にはビール瓶が2本持たれている。どうやら旧帝国領のブランドではなく、フェザーン資本の大衆向けビールであるらしい。 その瓶を彼は居間のテーブルに置いた。よく冷えているらしく、瓶の表面を水滴が伝っていく。そして彼は棚を漁って栓抜きを発掘したり、棚からグラスをふたつ取り出したりしていた。 「ワインではないのか」 「独りでは一瓶全てを一気に飲み切れないからな。買ってないんだ。――だから現時点で俺の家に来る時には前もって言ってくれるか、酒を持参して来て欲しい」 言いつつミッターマイヤーは栓抜きを手に持った。自分は席につかないままだが、ビール瓶に手をかけた。栓抜きを当て、慣れた手つきで抜こうとする。 「卿も席につけ」 直前にロイエンタールがそう声をかける。その台詞にミッターマイヤーは顔を上げた。ロイエンタールの方を見て、手元の作業を中断する。 「俺はいいよ。台所でもやる事あるし、その後にはシャワーも浴びなきゃいかんから。暫くここには落ち着けない」 当然のような切り返しに、ロイエンタールは溜息をついた。やれやれと口の中で言いつつ、腰を上げた。 「…俺だけが落ち着けるか」 「いいって。卿は客だろ」 「客には違いないかも知れぬが、もてなしてくれる親友がこの場に居なければ、落ち着いていてもつまらん」 そう言ってロイエンタールはミッターマイヤーの栓抜きを持つ手を軽く押さえた。冷たい瓶の感触が感じられる。栓を抜く事を押し留められた格好になったミッターマイヤーは、その手を上げようとした。ロイエンタールの手はそれに従い、一緒に栓の上から取り除かれる。 相手の言う事に一理あると感じたミッターマイヤーは、話題を転じる事にする。至近距離にあるロイエンタールの顔を見上げ、笑って言った。 「――間が持たないなら、卿が俺の先にシャワーでも浴びるか?」 「着替えがないから今回は遠慮しておく」 考える事もなく、ロイエンタールは即答した。オーディン時代ならば何時しかそれこそ寝泊まり出来る程度にはお互いの家に衣類を備えてあったものだが、現時点のフェザーンではその準備が全くなかった。 それを思うと、やはりまた相手の言う事に一理を感じるしかない。ミッターマイヤーはまた他の話題を出すしかなくなる。が、見つからない。 「…なら、やはりそこで待ってろ」 それを勧めるしかなくなるが、ロイエンタールは真顔でミッターマイヤーに返す。 「卿こそ早く浴びて来い。公園で子供と遊んできたとやらならば、さぞかし色々と汚れているだろうに」 それはミッターマイヤーも考えていた事であった。 帰宅途中から優先順位のトップがそれであったが、ロイエンタールの突然の来襲により後回しにされているだけだった。確かにこの姿のまま、公園で子供達とフットサルなどを2時間程度行っていたのだから、土埃にまみれているし自分の汗によって肌がべとついていて仕方がない。 「しかし台所でだな」 自分の汚れに不快感を感じてはいるが、ミッターマイヤーは親友のために作業中だった。料理とも言えない、只暖める程度の代物だが、それを準備してから自分の作業に出向くつもりだった。 が、ロイエンタールはまた溜息をつき、こう言った。 「台所は俺が見ておいてやる」 |