「――この帝国軍人さん、悪い人じゃないよ」 ミッターマイヤーの手を引く子供が笑いながら仲間にそう言った。歩みを進めると芝生が踏まれて微かに音を立てる。彼は仲間達を見据えて、手の中のサッカーボールを片手で投げた。 そのボールは軽く放られ弧を描き、子供の一人の足元に綺麗に着弾する。その子は足を上げてボールを踏みつけ、動きを止めた。 「本当かよ。帝国軍人って堅くてうるさそうだ」 「…確かに堅そうな人だとは思うけどさー悪い人じゃないよ」 本人の手を引きつつこのような会話が出来るのは、子供ならではだろうなとミッターマイヤーは苦笑した。 子供達の集団から5m程度の距離まで歩み寄った時点で、ミッターマイヤーは彼らを観察した。髪の色や瞳の色、顔立ちや肌の色などを見るに、帝国臣民とは違って多種多様な趣を感じさせる。 フェザーンは建前上は黎明期から帝国領ながらも、自治領として実質的には独立国家として存在した惑星都市である。元からの帝国人の他にも、通商を認められていた同盟人も数多く在住している。混血が進んだ者や、逆に民族毎にコロニーを作った者も多いのだろう。ミッターマイヤーにとってはまるで別世界であったし、フェザーン人に言わせればあれ程広い版図を持ちながら建前上は単一民族国家である帝国こそがおかしいのだろう。 ミッターマイヤーがそんな事を考えていると、彼が視線をやっていたボールを足元に置いたままの少年が、口元に笑みを浮かべた。それに何故か少し違和感を感じたその時。 その子はミッターマイヤーを見据えたまま、ボールから足を上げた。少し芝生の上を転がった一瞬後、そのボールを彼は勢い良く蹴り上げた。軽い音を立て、ボールが伸び上がるように宙を舞う。 ミッターマイヤーの手を引いてきていた子が、口の中で小さな叫びを上げた。慌ててミッターマイヤーから手を離し、後ろへ走ってボールに追い縋ろうとする。ボールを蹴った少年の行動は、他の子供達と示し合わせたものではなかったらしく、他の子供も慌てて散会してボールを追おうとした。 が、彼らよりも先にミッターマイヤーは反射的に動いていた。軽く数歩走り、歩数とボールの飛距離を目算で確かめて考える。――どうも全力で走った方がいい。彼はそう判断し、すぐにそう切り替えた。 子供と大人の歩幅は明らかに違う。必死に追い縋ろうとしていた子供を彼は軽く引き離した。走る事で発生する風が彼の顔に当たり、軍服をたわませ、赤いマントがたなびく。 元帥姿で全速力で走った経験など今までなかったなと彼は思うが、そもそも普段軍服と共に履いている革靴自体がこのような運動に向いているとは言い難い。只の士官時代ならともかく、艦隊を率いる立場となった今では近接戦闘状態に陥る事などなくなったから、革靴も機能ではなく儀礼を重視したものに切り替わっていた。 ともかく彼は靴を問題とせず、ボールに追いつきつつあった。が、このまま追いかけていては公園から出てしまう事も明白だった。――腕を伸ばせば届くかな。そんな思いが頭をよぎるが、彼はその考えを一蹴した。 これは「サッカー」なんだから。手は使っちゃいけないだろう。 彼はそう思ったのだ。 あのボールを蹴ってきた子供は、俺を試すつもりでこんな事をしているのだろう。確かに俺はこの子供達の輪に入ってきた闖入者だ。だとすれば、彼らに認めて貰うためには、まず彼らの土俵で戦うべきだろう――彼はそう結論付けたのだ。 大人が子供と同じ視点で相手をしてやる必要性が果たして存在するのかは一般論としては議論が残るが、彼は視線の高さを同じにして会話する事を打算ではなくごく自然に思いついていた。 ミッターマイヤーは勢い良く体を引いて足を止めた。反動で髪とマントがはためく。革靴が芝生を掻き分け、土すら抉る。もうじき頭上にボールが到達する時だった。 彼は膝を軽く曲げ、上に跳んだ。地面に軽く足跡が残り、彼の体が中空に舞い上がる。子供達は彼の行動と、その到達点に思わず足を止めていた。ボールと、彼とを同じ視界に入れて口を半ば空けたまま見上げてしまう。 秋の夕暮れの淡い陽光を背後に受ける、蜂蜜色の髪と、黒と銀の軍服と、赤いマント。彼らの視界にそれが焼き付いた。 見られている側のミッターマイヤーはそんな事には気付かない。彼は懸命に頭を上げ、ボールを捉えようとする。 ――俺は背が低いから、こう言う時に困る!彼は脳裏でそう吐き捨てたが、実際には自身の背の低さを補って余りある程に高く跳躍するのが常であり、今回もそうであった。 ミッターマイヤーの額が、サッカーボールを捉えた。軽い衝撃を頭に感じ、自らの前髪が鬱陶しいまでに舞うのが判る。 跳ね返るサッカーボールに対して彼は、自由落下しながら更に胸でそれを受け止めて跳ねさせる。ボールの勢いを殺し、自分の下に留めようとする。上になびいていく前髪の一本一本を視界に入れつつも、彼はボールから目を離さない。空中ながらも足でボールを数度受け、軽く跳ねさせつつ反らさない。 彼が地面に再び足をつけた時、ボールは空中にあった。落下の衝撃を膝で吸収しつつ、彼は落下してくるボールを見送った。そしてボールが地表に着地したその瞬間、彼はその上に足を置いた。ボールは簡単に彼の制御下に置かれ、停まる。 それらの動きに追随するように、彼が纏っているマントが上にたなびき、風に煽られ中空を舞い、そして重力に従い肩から下に垂れ下がった。 マントの動きが感じられなくなった時点でようやくミッターマイヤーは仕事が終わった気分になった。ふう、と軽く溜息をつく。 それからふと、彼は周りから感じられる視線に気付いた。見渡すと、彼を見ている子供達の視線が明らかに変わっている。今までの品定めするような代物ではなく、むしろ熱っぽい憧れのような視線になっていた。その視線は、彼が帝国で感じてきていた代物と、殆ど変わらないレベルになっていた。 ミッターマイヤーの動きが停まった事を認めた子供達は、その顔に満面の笑みを浮かべた。そして、彼らは勢い良くミッターマイヤーに駆け寄ってきた。 「――すげー!」 「帝国軍人ってこんな事出来るのか!?」 「こんな格好いい大人見た事ない!」 口々にそんな事を言う子供達をミッターマイヤーは真正面から受け止める。一応は帝国公用語を話しているが、子供によっては訛りを帯びたものもある。その辺りからも今自分がいるのが他民族都市だと言う事を思い知るが、その他の要素――子供の熱っぽい視線に憧れの口調は、帝国と何ら変わらないとも思った。 どうやらミッターマイヤーは、その身を持ってこの公園にたむろしていた子供達の心を掴んだようであった。 |