大きな木の上と下
 今日はおじさまとおばさまもご在宅だった。仕事がほぼ絶える事がないこの造園業者にとって、それは結構珍しい事だった。
 今回はウォルフ様の帰郷の日程も事前に連絡があったので、おそらくおふたりもそれに予定を合わせたのだろう。しかし彼の仕事が軍務である以上、今後もそうなるとは限らない。連絡なしでいきなり帰ってくる事もあるだろうし、それ以前に――。

 …だから、おふたりは彼の帰郷を待ち侘びて今日ご在宅であったはずなのだが。
 前述のように、何故かウォルフ様とおじさまは喧嘩なさったようだった。私はウォルフ様が駆ける背中しか見ていないから、何故喧嘩になったかまでは知らないのだけれども。

 普段より若干豪華な夕食の食卓においても、微妙に気まずい雰囲気が漂っている。

 と言っても、言葉荒く喧嘩をしている訳ではない。只、互いに視線を合わせずに、会話も交わさずに、少しだけ空気が重いだけだ。4人の食卓で、内ふたりがそんな風にしていてはあまりにも不自然だから。

「――今後の予定はどうなるんだい?」
 食事が一段落した頃に、おばさまがウォルフ様にそう訊いた。それに対してウォルフ様は特に顔を上げる事無く言葉を返す。
「…次の赴任先が決まるまでは自宅待機かな。一応は数日に1回は軍務省に顔を出さないといけないけど」
 話している時は口に物は入れない人だが、それでも今はまだ食事中である。会話毎に少しの間が開く。
「それが決まるのは何時になるんだい?」
「さあ。でも何処も人材不足みたいだから、そんなに遅い話じゃないと思うよ。2週間もすれば決まるんじゃない」

 ――2週間!
 おふたりの話を訊いていた私は内心驚いてしまった。思わずフォークを皿の上に置いてしまう。微妙に大きな音を立ててしまったような気がして、そんな自分をはしたなく思った。
 だって…今回も赴任先に旅立たれてほぼ1年待ったのに。勿論それがお仕事だから仕方ないとは言え、私は不安で不安で…。今回の赴任先は最前線だとも伝え聞いていた。
 ようやく帰ってきて――確かに怪我はなさっていたけど、それなりに無事なお姿を拝見出来たのに。
 それも2週間で終わりだなんて。また何処かの赴任先に旅立たれてしまうなんて。
 
 私はウォルフ様が赴任先から戻ってこられた今、また昔のように家に居て下さるのだと思っていた。
 いや、勿論彼が軍人である事は判っているし、退役するとは全く思っては居なかった。
 でも、彼がこの家に居る事が当然のように思えて――彼が働く先は戦場である事をすっかり忘れていた。忘れ去ろうとしていた。

「…もうちょっとゆっくり出来ないのかい?」
 おばさまも、2週間は短いと思われたらしい。お困りの御様子で、ウォルフ様に訊いていた。
「尉官なんて一番こき使われる階級みたいだし。佐官になればまた違うんじゃないの」
「他人事みたいに言うんだね」
「だって俺は平民だから、佐官なんて何時になる事やら」
 ウォルフ様の口振りは本当に淡々としている。まるで日常のありふれた生活の出来事を報告しているだけかのようだった。

 しかし、どうやらウォルフ様は今回の赴任先での働きにより、中尉に昇進しているようなのだ。軍服の装飾によって階級が判るようになっているらしく、帰宅後の彼を見た庭師さんの誰かがそれに気付いて驚いていた。
 普通の人は士官学校を卒業して1年で中尉になる事はないと聴く。つまりウォルフ様は凄い事をなさったのだ。しかも、ご本人がおっしゃるように、平民だと言うのに。
 この帝国において身分の差は絶対であり、平民は貴族に全てを譲り渡す。軍はある程度の実力主義ではあるが、それでも昇進などにおいては縁故が物を言う事が多いらしい。逆に言うと、縁故が存在しないウォルフ様が1年で中尉に昇進するなど…余程の戦果を挙げない限り、あり得ない事なのだ。

 こんな優しい顔をしている方が、そんな戦果を挙げるなんて…私には想像がつかない。
 しかし、昇進した以上、そういう事なのだろう。おそらくはあちこちの包帯が、それを説明しているのだろう。

「――ああそうだ。これ」
 不意にウォルフ様が俯いた。御自分のズボンのポケットに手を突っ込み、何らかの封筒を掴み出す。そしてそれをおばさまに差し出した。
「何だい?」
「給料の一部」
 おばさまに訊かれて、ウォルフ様は事も無げにそう答えた。
 その台詞に、おばさまはきょとんとする。予想外の台詞だったようだ。封筒を受け取った状態のまま、しばし動きが止まってしまっていた。封筒の表面に指を滑らせ、戸惑ったように言う。
「…多そうじゃないか」
「自分が生活するのに必要な分は抜いてるよ。それに兵舎暮らしだから、そんなに生活費がかからないんだよ。――だから金に困って軍人になる奴も多い」
 ウォルフ様は両手を広げて、笑って、そう仰った。自分の選んだ仕事は有り触れたものに過ぎない――まるでそんな風に自己弁護するかのように。それは私の気のせいだろうか。
 確かにある程度の衣食住を金銭的に補填されているのが軍人なのだから、与えられる給料が程々であっても実質的には余裕が出て来るものなのかもしれない。そしてこの封筒には、彼が1年近く出征していた成果の一部が収められているとなると、かなりの金額になっていてもおかしくないのかもしれない。
 彼の浮かべる表情は、今までとは一切変わらない。でも、彼が持ち出してきた金額は、明らかに歳相応なものではない。

「――お前は金に困っている訳ではなかろう」
 そこでおじさまが初めて口を開いた。険しい顔をして、会話に割り込む。
「そうだけど?」
 ウォルフ様がおじさまに顔を向ける。怪訝そうな表情をしていたが、微妙に眉を寄せている。やはり喧嘩中である事実は未だに消えていなかったらしい。
 おじさまは顔を上げず、ウォルフ様に顔を向ける事もなく、言葉だけを投げかける。ウォルフ様側だけではなく、おじさまの側にもわだかまりは残ったままだったようだ。全くこの父子は似た者同士のようで、どちらから折れるとも知れない。
「ならば親に金を渡さんでいいから金を貯めておけ。うちは金に困ってはいない。そしてある程度貯まったらさっさと退役してしまえ」
 ――どうやら、おじさまは、語調を抜きにしたら、ウォルフ様の事を心配しておいでなのだ。台詞の内容はそれを物語っている。先程おばさまが仰った事と内容が被っているし、私もそれに同意見なのだから。
 果たして、ウォルフ様は黙り込んだ。手にしたカップを中空に持ち上げたまま、止まってしまう。
 そしてそのカップを皿の上に戻し、眉間に指を当てる。何かを思案する表情を見せた後に、口を開いた。

「…無茶言うなよな。そんなに早く退役したら問題になる。俺は士官学校出なんだから簡単に辞められないよ」
 それは、相変わらず淡々としていた口調だった。ともすればおじさまやおばさまの方が感情に満ち溢れているように思える程に。息子である彼の方が、世の中の理を判っているかのように、静かに。
「ならば何時になったら退役するつもりだ?」
「その時になってみないと判らないよ」
「…この馬鹿息子が」
「はいはい」
 ウォルフ様は受け流すだけだった。カップの中の液体を一気にあおる。その表情はあまり好ましいものではない。少なくとも、機嫌は良くはなさそうだ。
 色々と煮詰まってますね。後1回。

 ああ、追悼SSネタもまとめなきゃならないし、某所に投下したいものもあるし。何よりDVD12巻見たら伯爵令嬢の胸が割と目立ってる事に気付いて、某所で土下座したくなったりもしたし。
 (ちなみに絵日記で今DVD12巻購入祭りが開催されてるっぽいです)
05/11/21

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