大きな木の上と下
「――大丈夫ですか!?」
 私はウォルフ様が落下した所に慌てて走り寄った。舞い上がり飛び散った木の葉があちこちに散乱し、私の靴にも踏み付けられる。その度に軽い音を立てて木の葉は割れてしまう。どうやら枝についていたものの既に枯れ果てていたらしい。
 私の目の前の、木の葉の山ががさがさと動き始める。木の葉が擦れる音が大きく聞こえ、他の動作音を隠してしまっているように思えた。ともかく木の葉を掻き分ける手が姿を現し、蜂蜜色の髪や黒と銀の軍服から茶色い木の葉が振り払われていく。

「ああ、参ったなあ…」
 木の葉が擦れる音に紛れ、苦笑気味の声が私の耳に届いた。それは小さな声だったが、私がこの人の声を聞き逃す訳がない。
「――ウォルフ様!?」
 私は勢い込んで彼の元に急ぐ。木の葉の中に座り込んだ格好の彼の隣に、膝を曲げて座った。すると、彼は落ちた拍子で足を半ば投げ出した格好になっていたのだが、慌てた風にその場に胡坐をかく体勢になった。
 傍に座った私に気を遣ったのだろうか。足を曲げて体の下に置く事に対して私はちょっと不安を抱いていたが、彼は動作から痛みを訴えるような事はしていない。――もしかしたら我慢しているのかもしれないが、それを問い質す事は失礼だろう。

 ともかく私に出来る事は少ない。でも、とりあえず私は彼の髪に降りかかったままになっている木の葉をひとつ、指で摘み上げた。
 枝への衝突、落下、そして地面への激突時のクッション代わりと言う、様々な衝撃を経ているために、形を保っている木の葉は少ない。しかし私が今摘み上げた木の葉は、珍しく完全な形を保ったままの大きな茶色い葉だった。葉脈もしっかりとしていて、私が持つ付け根の部分も堅い。その葉を取り除こうとして、私はそこを強く引いた。
 と、その瞬間の事だった。

「――痛」
 ウォルフ様はそう言って、顔を歪めたのだ。
 すぐに彼はしまったとでも言いたげな表情になる。自分の頭に手を当てて苦笑いした。――きっと、痛みを訴える声と顔をしてしまった事、そしてそれを私に見せてしまった事を後悔したのだろう。普通の人なら気付かない程の変化の早さだった。
 しかし私は気付いてしまった。何度でも言うが、私がこの人の声を聞き逃す訳がないのだ。
 ――何か痛いような事を、私はしてしまった?
 私は内心慌ててしまう。しかし私は彼に触れている訳ではない。痛みを訴えるような行動を取っているとは思えないのだけど…。

 と、気が付いた。
 私が摘み上げて、今引っ張っている枯れ葉。
 葉脈までもしっかりと残っている形状。そして葉の縁のぎざぎざも欠けずに残っていた。
 そのぎざぎざの部分に、ウォルフ様の髪が引っかかってしまっている。鮮やかな蜂蜜色の髪が数本、茶色い枯れ葉の端っこに絡み付いていた。
 そのまま私は枯れ葉を取ろうと引いていたのだから、絡んだ髪の毛ごと引っ張られて、それでウォルフ様は痛かったのだ。だから私は一旦引くのを止める。

「…ああ、申し訳ありません。この枯れ葉に髪の毛が引っかかっていますわ」
 私がそう謝ると、ウォルフ様は視線を上げた。上目遣いで私の手の方を見やる。
「あ、そうだった?俺には見えなくてさ」
「じっとしていて下さいませ。取って差し上げます」
 私はそう言って笑い掛けた。彼の頭の上に引っかかっている枯れ葉に両手でそっと触れる。薄いがそれなりに堅い状態の葉の縁に絡み付いている髪の毛を解きに掛かった。
 ――堅いとは言え、所詮は枯れ葉だ。いざとなれば力を込めて割ってしまって強引に髪を解放する事も考えている。が、私にはそれはあまりにも暴力的な方法であるように思え、だからあくまで指先で解こうとしていた。

 だって――葉を割るなんて。荒っぽい方法だもの。
 そんな方法を躊躇いなく使ったら、ウォルフ様が呆れちゃうかもしれないもの。
 私はそう思ってしまう。

 私が黙ってウォルフ様の髪を解こうとしていると、彼は黙っていた。心持ち頭を下げて、私が作業し易いようにしてくれている。
 ふと、彼がどんな顔をしているのかと私は視線を落とす。
 彼は瞼を伏せて大人しくしていた。傾きつつある太陽が枝越しに影を作り出し、彼に影を落とす。おそらくは隣に居る私にも影は降りているのだろう。秋が終わりつつあるため、翳った部分からは冷気を感じる。早く帰った方がいいのかもしれない。
 指にも冷たさが伝わってくる中、ついつい私は彼の顔を見続けてしまう。意志が強そうな眉の形と、意外に長い睫毛の影。目立たないが微かに刻まれているいくつかの薄い傷跡。

 …と言うか。
 薄い傷跡どころか、額の辺りに包帯が巻かれていた。

 今まで髪で影になっていたり遠目からだったり、或いは逆に枯れ葉を一点集中で見ていたりしたので、全く気付かなかった。思わず私は手を止めてしまう。
「――…どうかした?」
 私の動きに彼は気付いたらしく、顔と瞼を伏せたまま訊いてくる。
「いえ…」
 彼は、私が彼の微妙な変化に気付くのと同じ位に、私の微細な変化に気付くのだろうか。

 改めて私は彼を、全体的に見やった。すると、あちこちに包帯が巻かれ、ガーゼや絆創膏が貼られている事に気付いた。右手にも、甲と指何本かを覆うようにして包帯が巻かれている。
 …だから、ウォルフ様は木から落ちたのだと、私は今更理解した。こんな状態で木登りしていたのだ。落ちない方がおかしい。むしろ、あんなてっぺんまで一旦昇れていた事が、彼の非凡さを表しているのだろう。
「…お怪我なさっているのですね」
「ああ…戦場帰りだからね」
 私は自分の声が沈んでいる事に気付いていた。それに対してウォルフ様は静かに返してくれる。

「……あまりご無理なさらないで下さい」
「命に関わるような怪我はしてないよ」
 ようやく枯れ葉が取れた。綺麗な形のまま、私の手に残る。
 ウォルフ様は自分の髪が引っ張られる感覚から解放された。御自分の手で、髪に残っていた細かい枯れ葉の破片を払う。もう引っかかる葉もなかったらしく、あっさりと落ちていく。強い癖がついている髪が大きく揺れた。

 不意に私の片手に暖かい感触が伝わってくる。
 ウォルフ様が私のその手に、両手を重ねてきていた。包帯の片手と生身の片手。感覚の違いはあれど、そこにあるのは暖かい体温だ。
「――君もすっかり手が冷たくなってしまっている」
 そう言って彼は鮮やかに微笑んだ。――そう、私にとっては、柔らかく、美しく、鮮やかに。
 そして彼は私の傍らに視線を寄越す。私が手に持ってきていたバスケットがそこにあった。
「ピクニックするにはちょっと寒いかもしれない。せめてうちの庭まで戻らない?」
「…はい」
 確かに寒いはずだ。なのだが…何故だか私の体温が上昇してくる。顔が熱くなってきたような気がする。ウォルフ様の手に温められたとは言え、そこまで熱くなる訳がないのに。

 いや、その理由は判ってはいる。
 判ってはいるけど………説明するのは恥ずかしいように思えた。

 ともかく私はウォルフ様に手を引かれ立ち上がる。
 私は大きな木の下から抜け出した。まるでエスコートされる淑女のように。
 多分1年ぶりに続き書きました。一応のプロットらしきものは、愛用のEmEditorFreeに残骸として残ってました。ので何とかなった。
 この続きは多分そんなにお待たせしないと思います。少なくとも、1年は。

 ちょっと「イレギュラーバウンド」の構成を整理してたら息詰まってきたので、こっちに逃げてみました。逃げた所も続き物ってのが何だかなあと思わされますが。でも続き物を放置したままってのもまずいんでね。「双璧祭り」も放置し過ぎなのでそのうち手をつけようと思います。
 …そんな事考えているうちに、イレギュラーバウンドなかなか完結しなくなったらどうしよう。そっちは年内完結を目指しておるのですが。
05/11/10

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