久し振りの一家団欒だったはずだが、あまり「団欒」と言う雰囲気にはならないまま、食事は終わってしまった。仕方ないのだろう。きっと。
私はいつもより一人分多い食器を洗い場で片付けている。隣ではおばさまが鍋の中身を他の容器に移し替えていた。いつも通りの仕事だ。私はこの家では新参者だが、それでも数年の歳月が流れている。自分の仕事と言うものを見つけていた。
「ウォルフ様とおじさま、一体どのような事で喧嘩なさったんですか?」
私は食器をスポンジで洗いながら、おばさまに話を向けた。
そもそもの始まりは、玄関先で起こった事のはずだ。私はその顛末を見ては居ないが、喧嘩らしき事が終わった後にウォルフ様が走り去る後ろ姿だけは目撃していた。
私の問いに、おばさまは苦笑いを浮かべる。私の方を見て、言った。
「ああ…あれかい?――ほら、あの子が帰ってきたんだけど、あの通り怪我してるじゃないか。そりゃ、動きはぴんぴんしてるようだけど」
…私がウォルフ様と出会ったのは、彼があの大木に登った後だったから、怪我の様子までは判らなかった。だから普通に会話を交わしていた。気付いたのは、彼が木から落ちてからだ。
しかし普通に出会えば、まず最初にあの包帯に目が行くだろう。それを見たら、確かにご両親は落ち着かないだろう。
つまりは、そういう事だったようだ。
「怪我をしているあの子を見て、あの人は少し動転してしまったみたいでね。多分、自分が徴兵された時の事を思い出したんじゃないのかい?」
判らないでもない。この国では、平民の成人男性には徴兵の義務がある。だから、生きて帰ってきた人々の中には、戦場での体験が脳裏に焼きついている人もいるのかもしれない。普段忘れてしまっていても、あるきっかけで思い出してしまう人も多いのかもしれない。
あのおじさまの事だから、御自分の辛い(だろう)体験を、息子であるウォルフ様に重ねて見てしまったのだろう。
「だから――まあ、もう辞めてしまえとかそんな事を言ってたと思うよ。頭ごなしに言われたウォルフは、逃げてしまったんだろう」
「…そうだったんですね」
私は納得した。ウォルフ様と、おじさまと、両者の言い分に。両者とも間違っていない事に。
それからは暫く無言が続いた。
私は皿についている洗剤と汚れを、蛇口から出てくるお湯で洗い流す。色々あったがウォルフ様は全ての料理を食べて下さっている。私がお手伝いしたものもあるので、凄く安心する。
「…あの子、中尉になるんだってねえ…」
流れる水の音に紛れて、おばさまの声がした。
呟きなのだろうか?私の方は見ていない。もっとも、お湯が発する湯気で、微妙な具合は良く判らない。
シンクに汚れたお湯が吸い込まれるように流れていく。
「――………あの子にも、人が殺せたんだねえ」
おばさまのしみじみとした台詞が、私の耳に残った。
――生き残るためには仕方がない事なのだと思います。
私はそう返そうかと思ったが、それが判っていないおばさまではないと思う。
だから、言うのはやめた。
中尉に昇進したという事は、戦場で上官に認められるような事をしたからであって、それはおそらく敵にかなりの損害を与えたとかそういう事になるはずで――。
だとしたら、彼は――いくら、叛乱軍とは言え、同じ人間をその手で――。
………あんなに優しい方なのに、そんな事が出来るのだ。私はそう思い、そしてそれが辛かった。
――そうせざるを得なかった、彼を思うと、辛かった。
「おじさまもウォルフ様の事が心配だから、あんな事を仰るのだと思います」
片付け物が終わって、私は再度ウォルフ様と会話する機会を得た。
彼は御自分の部屋にお戻りになっていた。私はそんな彼の部屋にお邪魔させて頂く。彼の部屋とは言え、不在だった今までに鍵が掛かっていた訳ではない。掃除のためにちょくちょく上がらせて頂いていた。
なのに、この部屋の主が居ると言うだけで、少し緊張してしまうから不思議だ。
彼はベッドに寝転んで本を読んでいた。私が来た事でそれは手放されて机の上に置かれたが、きちんとした表紙の本だった。
どうやら、何らかの知識を得ようとしていたらしい。しかし部屋にはあまり本がないために、私には読書と彼のイメージを結びつける事が出来なかった。
それはともかく、彼は椅子を引っ張ってきて私に勧めた。にこにこと微笑んでいる姿は、私が知る彼そのままだった。只違うのは、包帯が巻かれ、絆創膏が張られている事だ。
「それは判ってるよ。確かに俺は親父の勧めを無視して士官学校に行って軍人になってしまったんだから、親父にとっては親不孝者だ」
私の台詞に対して、ウォルフ様はそう答えた。蜂蜜色の前髪に手をやり、軽く掻き上げる。
私はウォルフ様が士官学校に通われている頃にこの家にお世話になっているから、彼がその士官学校に通い始めたいきさつまでは知らない。が、どうもその時点からおじさまの意思には沿っていなかったようだ。
父親の言う事を良く利く方なのに、そこだけは譲れなかったのだろうか?
軍人になりたかったのだろうか。しかし現状を見る限りでは、どうもそうは思えない。戦場に実際に行ってみて考え方が変わったのかもしれないけど…どうなのだろう?
――私の脳裏にも、忘れられない記憶がある。
私は、父親を戦争で亡くした。母はその心労のためか、後を追うように逝った。
戦争は、私から大切なものを奪った。今、この家で幸せに暮らせているのは、奇跡でしかない。
だから、好きで軍人になろうとする男性の考えが全く判らない。
ウォルフ様も、同様だった。周りの方に訊けば訊くほど、「元気なくせにとても頭が良い子供」と言う印象が強くなる。士官学校ですら優秀な成績で入学したと訊いている。ならば、何も士官学校を選ばなくても、他にも就く道はいくらでもあったはずなのだ。
彼が戦う理由とは何だろう?私はそれを知りたい気がする。が、訊くのはぶしつけな気もする。
私と彼は所詮は他人だ。私は彼の家でお世話になっているだけの娘だ。この家で唯一、血の繋がりも何もない。確かに遠縁ではあるけれど、両親を亡くす以前に彼らに会った事はない。それ位に遠い血縁関係だったのだから。
――彼と話していると楽しいけれど、それに甘えてはならないと思う。
「…本当に、退役できないんですか?」
「ん?」
「だって1回戦場に行って戻ってきたじゃないですか。徴兵ならそれで終わりなのに」
私は彼にそう訊いてしまう。
否応なしに徴兵されて、生きて帰ってこれない人間も多いのに――私の父のように。
なのに、そんな戦場に、また自分の意思で出向こうとするなんて。幸運にも生きて帰って来れたのに、その命をまた危険に晒すなんて。
「…俺は正式な軍人だから、何回も戦場に行くのが仕事だよ。1回で退役したらそれこそ軍務省から訴えられかねない」
私には士官学校卒業時に交わされる契約めいた条項は知識にないから、彼が言っている事が比喩なのか真実なのかは判らない。
しかし、あり得そうな話である事は、判る。
実際に、士官を育てるのにはそれなりの金が掛かる。彼のような優秀な成績で入学し在学中も優秀だった人間は、学費もかなり免除されている。彼は期待されてきたのだ。
そんな人間があっさり退役してしまえば、その金が無駄になってしまう。だから訴えてでも阻止する――論理としては間違っていないし、実際にそれが行使されても納得出来る話だろう。
無論、そんな論理は、大貴族には当てはまらないのが、この帝国だけど。
彼に能力があるからこそ、生還出来るのかもしれない。士官学校の期待は的中しているのかもしれない。
しかし、待つ側は、安心していられない。万が一という事もあるのだから。
だから、私はこう言ってしまう。
「あんまり危ない事はなさらないで下さいね」
私のこの台詞に、ウォルフ様はきょとんとしてみせた。普段から実年齢から3歳は若く見える顔立ちをなさっているが、今の表情は本当に子供っぽくて、実年齢から5歳は若く見えた。
が、彼はすぐに苦笑した。眉を軽く寄せ、まなじりを下げて微笑んで私の方を見ている。手が蜂蜜色の髪をいじっていた。
「うーん、俺達軍人は危ない事をするのが仕事だから、それは約束しかねるや。ごめんね」
困ったように笑って、彼はそう言った。――そんな顔をさせてしまった自分が、嫌になった。
「ウォルフ様」
「…うん、このタルト美味しいよ。夕食の後だけど別腹で行ける」
それは先程、私がウォルフ様を迎えに行った時に、バスケットに入れていたタルトだった。
後で食べて頂けたらと思って差し入れたのだが、私が居る前で本当に美味しそうに食べて下さっている。夕食のすぐ後なのだから御無理をなさらなくてもいいのに。
この人は本当に気遣いが上手いと思う。こんな風に軍でも振舞うなら、部下になる人もさぞ嬉しいのではないだろうか。
「エヴァの料理は本当に絶品だな。俺は幸せだ」
「ウォルフ様…」
「……だから、何度でも俺は戻ってくるから。そんな心配そうな顔しないでよ」
そう言って、ウォルフ様は手を伸ばした。包帯が巻かれている手ではなく、素肌のままの手を。
その手が私の頬に触れた。暖かい体温が感じられる。その彼の指が、私の頬に掛かっていた髪を軽く弾いた。
彼が戦場ではどんな「勇者」なのかは私には判らないし、彼にはそれを伝える気がないらしい。だから訊かない事にしておこう。
今は、私のみに与えられている、この暖かさに満足しておこう。そう思った。
次に帰って来た時も、彼はあの木に登っているのだろう。私は漠然ながらも、そう確信していた。
あの木が、彼の平穏を象徴しているのかもしれないと、悟った。
ならば私はまたお菓子を作ってあの木の下に向かおう。今度こそあの場所で御一緒しよう。昔と変わらず、そんな事をしよう。
ほぼ1年越しで完成。こんな話にしたかったんだっけと我ながら考え込む。プロット書いてても作品のイメージが脳内から消え去る前に書き上げておくべきだよなあ。
最近ミッターマイヤー夫妻に萌え萌えです。某所にも週1〜2ペースで投下中ですが…御存知の方いらっしゃるやら。まだ先だろうけど、スレ落ちたら自分の分だけでも保管庫作っておこうかなあと最近考えている。どうせ「見せろ」って人いないだろうから、ローカルで動かすだけかも知れんけど。
万年新婚気分夫妻でいいよなあ。この時代はまだ「夫妻」ではないのですが。
女性心理の分析は難しいのでほかりますが、この頃はまだ身内意識の方が高いんでしょうね。何度かミッターマイヤーが生還してきたら、そのうちに恋愛感情に向いていくんじゃないかなあ。
さて、まだまだ先だと思ってたら、ロイエンタール追悼ネタをどうにかしなきゃいけない時期が迫ってまいりました。今度の週末にでも形にして、形になったらもうアップする予定です。直前にアップしなきゃならない決まりはないんだしな。
05/12/07
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