水と緑に溢れたこの人工島においても、波留真理の住居兼事務所のように海岸沿いに位置する物件は一般人の手が届くものではない。実際に、豪邸と言って差し支えのない施設である。ひとりの老人が、介助用アンドロイド1体と猫1匹を従えて住むには少々広過ぎる。
 海に面する一方は全面ガラス張りとなっている。電脳制御によって単なる壁面状態にも変更出来るが、現在は外の陽射しを存分に室内に取り入れていた。部屋の奥の一段高い所の位置する応接間までもが陽射しを受け、明るい。
 そんな状況だが、蒼井ソウタは相変わらず愛想と言うものを表さない。いつもの青いシャツにジーンズと言う服装で、ソファーに座っていた。
「――ともかく、ミナモをあまり甘やかさないで下さい」
 彼は目の前に居る白髪の老人にそう告げる。その最中に脇からさりげなく紅茶が差し出され、テーブルの上に置かれるのを視線で追った。
 ソウタの隣では、本来なら介助用アンドロイドであるが現在では秘書機能なども追加インストールされているホロンが、トレイ片手に微笑んでいた。ついで彼女はもうひとつの紅茶入りカップを老人に差し出し、彼はそれを片手で受け取り頷く。
 この住居の家主である波留真理は相変わらず和やかな雰囲気を醸し出している。その雰囲気に当てられた気がしてソウタは自分の苛つきを自覚する。81歳と言う外見的な年齢そのままに捉えてしまいそうでいて、それにしては妙に若々しく思える時もある。彼にとって、目の前に居る車椅子の老人は、超然とした人物だった。
 波留はソーサーを左手に持ったまま、右手でカップを持ち上げて口につける。紅茶を一口含み、微笑んで味わっていた。ソウタの発言には答えようとしていない。それに気付いたソウタは何か別の言葉を継ごうとした。
 が、そこで波留はカップをソーサーに降ろした。軽い音が立つ。そしてそのまま彼はカップ一式をテーブルに置く。微笑んでソウタの方を見やった。
「ソウタ君。折り入ってお話があります」
「…はい?」
 相変わらず波留は、その口調も雰囲気も和やかなものを保っていた。しかし、改まってそう言われると、ソウタとしても思考が立ち止まる。そこに、波留の台詞が襲撃した。
「ミナモさんと、お付き合いさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「………はあ!?」
 電理研のインターンであり直属の上司はその統括部長であるソウタは、この人工島においても選ばれた人間でもある。その彼も、この言葉の意味を理解するのに数秒掛かった。そして理解した瞬間、頓狂な声を上げてしまう。
 彼の目の前に居る老人は、相変わらず微笑んでいた。しかし若干照れ臭そうな印象を与えるような表情でもあった。それは、ソウタが今訊いた台詞からの連想かもしれない。ともかく、何の衒いもない台詞である事は確かだった。
「――いいでしょ!ソウタには何も言わせないから!」
 不意に騒がしい声が入ってくる。彼の妹であり、現在俎上の人物である蒼井ミナモが、唐突に応接間に駆け込んできたのだ。
「な、お前!」
 ソウタは妹の方を見た。ソファーに腰掛けたままだが身体が動き、彼女を追う。ミナモは微笑を浮かべ、傍に立っているホロンの脇をすり抜けて、波留の隣にやってきていた。
 彼女は波留の車椅子に手を置く。そこに座る老人を見下ろし、覗き込んだ。
「私、波留さんの事、好きだもん――」
 そう言って彼女は屈み込んだ。波留の肩に両手を置き――その額に唇を落とした。そして老人もまた、それを当然であるかのように受け容れている。
 瞬間、ソウタの思考はスパークした。

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