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趣味が悪いだなんて、心外だ。 波留真理の若い頃の姿を打ち消された私は、そんな事を思っていた。 それは私が所有している膨大なアバターの中のひとつだった。波留自身の記憶と、そして今の私の行為をお気に召さなかった彼の記憶から再構成された容貌データである。 あんなにも会いたがっているくせに。幻では満足出来ないのだから、不便なものだ。 大体、性質が悪い冗談だなんて――リアルにて波留の姿を模した義体に入って満足していた人間に、そんな事を言われたくはない。一般的に考えたら、果たしてどちらが悪趣味なのだろうか。まあ、どっちもどっちか。 私は彼の記憶を全て読み取った。だから彼がどんな風に生きてきたのか、どんな事を思っているのか。全て理解する事が出来る。 最早人間である事を放棄しようとしている彼が「人間」であった頃の記憶と意識とを、私の中で追体験出来る。言ってみれば不思議な状況だ。 私の周りに泡が渦巻く。潮流が発生する。私はその向こうに手を伸ばした。「手を伸ばす」――その行為を意識する事により、私は再びアバターとしての姿を取る。 視界の向こうに見える私の腕は、瑞々しい少女の腕。露になっている二の腕は白い半袖の制服から突き出されており、海水の流れにセーラーが翻っている。私の視界の隅には褐色の髪が揺らいでいた。 本来ならば、メタルの海においてはダイバーとしてのアバターしか存在出来ないはずだった。しかしこの超深層ともなれば、そんな常識は通用しない。ここに存在を許されている私の自由に出来る。 苛立ちの鳴動が私に伝わってくる。頬に水の振動が感じられる。弾ける泡が露出している肌に当たる。 あら、この姿もお嫌いかしら。 そうでしょうね。あなたから彼を奪った少女の姿ですものね。 笑みを含んだそんな思考を、彼に伝達させる。すると更に不快げに海が震えた。 いっそ、この姿で波留の到来を待とうか。私は独りごちた。 ――厭味だなんて。私はあなたと同じ物を求めているのに。あなたが望む答えの他にも、私はあなたと同一である部分があるのよ。 私も彼を待ち望んでいる。そして私はあの時、この少女の存在によって、彼を奪われたのだ。 すっかり、あなたと一緒の立場だ。だからもう少し仲良くしたいものなのに。なのに邪険にするなんて、ちょっと酷いわね。 そんな事を彼に告げればいいのだろうか。そうしたとしても、嫌がらせの一貫かと思われるだけだろうか。そう思いたいならそれでもいい。 私は瞼を伏せる。再びこのアバターを解除し、そして別の姿を思い浮かべた。プールサーバにある私の記憶。それは他人の記憶と混ざり合っている、どうともつかない事実の羅列。そこから情報を引き出してゆく。 私がその姿を形取った瞬間、苛立ちを通り越して怒りとなった感情の奔流が、私の中に到達した。凄まじい思考圧。並のダイバーならば意識を流されるような攻撃。 しかし私は人間ではなくAIだ。構造が違うし、この手の攻撃に耐え得るだけの機構は兼ね揃えている。何せ私は今までバディなどと言う存在を持たず、メタルの海でここまで生きてきたのだから。自分で何でもやってきた。そうでなければ、ここまで崩壊せずに存在していない。 ともかく今の私は、長身の男の姿を取っていた。それなりに高価なブランド物のスーツに身を包んだ、壮年の男の姿を。潮流に前髪が揺らいでいるのが判る。 本来ならば彼の姿は全身義体なのだが、メタルにおいてはその区別はつかない。もっとも、私のアバターである証拠として、その瞳には通常の人間達の瞳孔ではなく、人工的なハニカム構造が映し出されている。その点で容易に区別がつくはずだった。 アバターを使っているからと言って、私は誰かをそっくりそのまま真似ている訳ではない。結局は、お遊びなのだ。どの姿を使おうとも。 最早あなたには、この姿を取る事は出来ないでしょう。 私は彼の思考にそう告げつつ、このアバターの顔に笑みを浮かべてみせた。波留にしか見せなかったような、彼の柔らかい笑顔を模倣する。 私の中にあるあなたの記憶に、あなたがリンクラインを伸ばしている事は判っているわ。懸命に自分を失わないようにしている。でも、それも何時まで続くのやら。 溺れている人間が懸命に助けを求めている姿のようだわ。絶対に来ない助けを。いずれ来る破滅の時を引き伸ばしているに過ぎない。 だから、彼に早く来て欲しいのよね。 あなたがあなたのままであるうちに。そうでなければ、彼はあなたをあなただと、認識してはくれないから。 私も、彼に会いたい。 だから、あなたとの約束は守るし、出来る限りの事はしてあげるわ。あなたの祈るような叫びは理解しているわ。 本当に、早く来てくれるといいわね。――リアルの海であっても、或いはメタルの海からのアプローチであったにせよ。 そうすれば、あなたと彼は、このメタルの海に溶け合ってひとつの存在となるのかしら?私の記憶に、全てが飲み込まれてゆくのかしら? その最悪の可能性を、まさかあなたは望んでいるのかしら? いや、あなたの答えは判っている。わざわざ答えなくていいわ。私はあなたの思考を読んでいるのだから。 私は彼の姿のアバターのまま、深層から遥か遠くの表層に向かって両手を伸ばした。まるで我々が待ち望むあの男が今、ここにやって来るのを待ち受けるかのように。この胸に飛び込んで来てくれる事を祈るように。 瞼を伏せる。この瞳さえ見せなければ、波留は私を彼だと勘違いしてくれるだろうか。彼の記憶の中にある、あの優しい笑みを私に向けてくれるのだろうか。 それともそれすら望めないだろうか。やはり波留はこの嘘を見抜くだろうか。波留もまた、私の行為を悪趣味だと断じるだろうか。この親友と同様に。 |