太陽は天頂に輝いている。岬には屋根が存在しないために、陽射しが直接降りかかってきていた。南国ではあるが陽射しは激しくならないように調整されてはいる環境だが、ミナモも流石に少し暑くなってくる。そこに海風が爽やかに吹いてきていた。
 彼女がちらりと波留の姿を見ると、長袖のシャツをきちんと袖口まで伸ばしている。それでも特に暑そうな雰囲気は見せないのが普段からの彼だった。
 用意して来ていたおかずの類は、大方ミナモの胃袋の中に入ってしまっていた。そもそも彼女にも波留はあまり食事をしないと判っていたので、独り分しか作って来ていない。しかし途中で席を外したとは言え、本当に波留に手をつけて貰えなかったのは、彼女にとっては微妙に寂しくはあった。
 とは言え陽射しの元のために、あまり長い時間残していては痛みが早い。そのためにさっさと自分で処理してしまう。波留に食事を振る舞うのならば、また別の機会があるだろうと思った。それまでにもっとまともな料理を作れるようになっておこうと決心する。
 波留は席の脇に置きっ放しにされていた麦茶のコップに手を伸ばす。口をつけて液体を少し含むが、30分程度放置した事によって若干温くなっていた。
 その頃には、ミナモは海を見ていた。穏やかな海風に彼女の髪が揺れている。
「――あの辺が、波留さんが最後に潜った海なんだってね」
 普段とは打って変わって静かな調子になった少女の声に、波留はコップを置いた。彼もまた海の方を見やる。海上には現在船舶は浮かんでおらず、只水平線が視界の果てまで続いていた。さざめく波音が響く向こうに外洋がある。
「…そうでしたね」
 波留の声も静かになる。波間の照り返しを見る限り、太陽光の強さ自体はあの頃と変わっていないように思われた。あの頃は逆に、今自分達が足をつけている「地面」となるべき場所を、その海から見ていたのだ。そう思うと不思議な感じがする。
「――私、この前、海に潜ったんだよ。凄いね、海って」
 ミナモの声に少し喜びめいた感情が含まれてきた。波留は彼女を見た。横顔に光が射し、少し紅潮しているようにも見える。
「でも、波留さんみたいにイルカさんには会えなかったな」
「この辺りの海域には、彼らは居なかったと思いますよ」
 波留はミナモを見つめつつ、穏やかにそう言った。それにミナモは波留の方に向き直る。
「波留さん、この辺ではイルカさん見なかったの?」
「僕が潜った頃は騒々しかったですしね。仮にあの時代には居たとしても、何処かに逃げてしまっていたと思います」
 言いながら波留は車椅子の肘掛けの辺りに右手を伸ばした。視線を落としつつ、そこに下がっているイルカのマスコットに軽く触れる。
 何せ人間があれだけの事故を起こしたのだから。野生の海洋生物達が10年のスパンでこの海域を見捨ててしまっていてもおかしくない話だった――とまでは、彼は付け加えなかった。
 波留はそこまで言い終わってからマスコットから手を離した。上げた右手でコップを取り、そこに入っていた麦茶を再び飲む。最後まで傾けて飲み干してしまうと、すぐにミナモが軽く席を立って水筒を差し出してきた。
 波留は会釈してそれを受け容れる。笑顔の少女が蓋を押しつつ水筒を傾けると、徐々に茶色の液体が注がれてゆく。しかしその勢いは然程ではない。水筒の内容量も少なくなって来ているらしい。
 そしてミナモは席を立ったまま、海の方を向く。彼女の視界には、果てしの無い水平線が広がっている。
「日本はまだまだずっと向こうにあるんだよね」
「そうなりますね」
「波留さんの故郷、何時か私も見てみたいな。その時には一緒に連れて行ってね」
「…何時か?」
「うん、何時か。――私、波留さんのバディだから、一緒に居てもいいよね?」
 それはどうなのだろうと波留は思う。そこまで付き合わせては彼女の兄が一体何と言うか――いや、いっそ彼も付いて来るのだろうか。彼ら兄妹にとっても一度も足を踏み入れた事はないとは言え、ルーツである国家であるはずだった。口実はいくらでも存在する。
 介助用アンドロイドであるホロンも付き合ってくるのは必然として――何だ、現状と大して変わらないのか。波留はそんな想像に至ってしまう。
 波留はそんな事を考えつつ視線を落とすと、取り皿に齧りかけのおにぎりが残されていた事に気付いた。何気ない手つきで彼はそれを手に取った。覆っているラップを捲り上げてゆく。齧りかけの部分から更に進めて噛み付いた。
 程好い塩の風味が米に混ざって広がってゆく。懐かしい味だと彼は思った。

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