過ぎ去った時間は50年だった。しかし波留当人には、50年を見送った自覚はまるでない。海へのダイブ中に気を失ったつもりで目覚めてみたら50年が経過していたのである。
 だから、彼は最初のうちは介助される事に抵抗があった。両脚が動かないと言う事は、非常に大変な事である。日常生活に必須の行動ですら他人の手を借りないと出来ない事に彼は恥ずかしさを感じていた。
 しかしその手の羞恥も、数日で消えてしまった。1日に何度も助けられるうちにどうでも良くなる。自分があまりに何も出来ないものだから、仕方ないと言う諦めが彼を支配してしまった。
 ホロンの作業は丁寧だったし、今までの生身の介助員の作業も彼女に劣ってはいなかった。どちらも彼を尊重した上で介助をしてくれている。今ではそう割り切れるようになっていた。
 衰えた肉体を他人に晒し、湯船に浸けられ、身体を洗われる。それが終わった後には身体を拭いて貰って、着替えさせられる――その一連の作業にも、波留はもう慣れていた。今は人間相手ではなくアンドロイド相手だと思えば、まだマシなのかもしれない。
「――もう夜も遅いです。少しお休みになって下さい」
 波留をベッドに寝かせて、ホロンはそう言った。彼女の身体は生乾きの状態であり、水気を波留の病室に落とす事はないが潮の香りを漂わせている。
「ありがとう。君も身体を洗った方がいい」
「そうさせて頂きます」
 ホロンは相変わらずいい笑顔で笑う。おそらくは相対する人間を安心させるように、そう言う笑顔を浮かべるようプログラムされているのだろう。
 波留は瞼を伏せた。実の所はあまり眠りたくはなかったので、ホロンへのポーズのつもりだった。しかし、今まで冷え切っていた身体が心地良い暖かさになっている。彼はうとうととし始め、遂にはそのまま眠ってしまっていた。
 色々あって疲れたらしい。何せ、今の彼には介助が必要であり、海に落ちてここまで身体を動かす事などなかったのだから。

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