2061年4月

 今日の人工島は晴れ上がっている。いい天気で、いい空だと思う。いつもは海底区画の電理研に閉じ篭っている身には、いい息抜きだ。
「――彼女にあの本を送ったのは、久島。君だな?」
「どうだったかな。昔の事は覚えていない」
 彼の声はいつものように朗らかで、和やかだった。だから私もそうあるように返す。
 私は人工島の海浜公園にて、波留の車椅子を押して歩いていた。事故から50年を経た今、彼は白髪の老人となっていた。全身義体で過去の容貌を保っている私が付き添ってこんな風にしていたら親子のように見えるかもしれない。
 私は波留に、小湊さんの話をした。しかし、それは懐かしく思えるような、上辺だけの話だった。
 ――結局、実験は、失敗だった。
 波留を目覚めさせたのは時の流れに拠るものだった。メタルダイブしても彼の意識は何処にも見当たらなかったのだ。まるで誰かが隠匿しているかのように。他のブレインダウン症例の認定者達は、メタルダイブで救助する事が可能だったため、波留はその経過を含めてレアケースだった。
 色々と言いたい事はあるが、結果として私と小湊さんは、彼に30年を費やしたのだ。長い日々だった。彼が眠りに就いた時と同じく、この実験でも、最初の1,2年はまだ良かった。それから先は――。
 それでも彼女は実験を続けた。私がメタルを開発し新たな技術を構築すれば、彼女がそれに対応したシステムを作り上げてくる。それを託体ベッドに導入し、実験を行う。その繰り返しだった。
 私はそこまでは波留には語らない。只単に、彼女が素晴らしい経営者であった事、そして2年前に逝った事のみを伝えた。
「君にも彼女の手腕を見せたかったよ」
 私はそう言いながら、車椅子を押し続ける。親友がすぐ傍に居る。こんな日々は50年振りだった。
 あの頃とは立場が違い過ぎるが、それでも私は出来る限り彼の望みを利き、出来る限り会いたかった。だから今日、彼から呼び出されても、すぐにやって来たのだ。
 彼は車椅子に腰掛けて、あの頃の写真を見ている。私が渡した、あの集合写真。遠い過去がそこにある。
 しかし、50年間を一瞬で見送った彼にとっては、未だに生々しい記憶なのだろう。私と違い、写真を見る彼の表情は柔らかいものだったから。

 
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