以上のような事情から、ロイエンタールとしては、このままの状況を放置しておく訳にはいかなかった。論理の突破口を見出せないミッターマイヤーのために、少しばかり助け舟を出しておくべきかもしれないと感じる。 そもそもシュテファンと言う名の少年に悪気があったとは、彼も思っては居ない。何せあの発言が含む内容は、万人の地雷ではないだろうからだ。付き合いが浅い人間特有の地雷など把握出来ずとも当然である――逆に地雷かどうかを考慮しようとしなかった点については少々思慮が足りなかったと責めを負うべきかもしれないが、そこは情状酌量すべきだろう。 そして、ミッターマイヤーの推測には若干の誤解があった。その誤解は、させたままにしておけば面白かったのでついつい放置しておいたのだが、今思えばそこがややこしさの原点だったのかもしれない。何より彼としては、自分の心情を誤解されたままにしておくのも、何だか厭な話であった。 結果として、ロイエンタールは前髪を掻き分け、言う。 「――…いや、あの子供が准尉だったなら、少しは違う目で見るかもしれん」 「…ほう?」 果たして話の向きを変えてみると、ミッターマイヤーは興味深そうに反応した。伏せていた瞼を上げ、ロイエンタールの方を向く。その瞳を見やりつつ、ロイエンタールは思わずにやりと笑った。同じ姿勢で座り続けているのにも疲れたため、軽く背もたれに手を置いて体をずらす。 「俺は門閥貴族共は、戦場には来ないと思っているからな。あの子供も卒業して任官するとは限るまいよ」 それは、彼がシュテファンを見ながらずっと思っていた事だった。そうやって内心で暖め、燻らせていた事を、今ここでミッターマイヤーに対して言い募っている。それは彼が今まで内心のままにしておこうとしていた事であるはずだった。 「あの子は任官を希望しているようだが…そのために俺達のような現場の軍人とも会話しておきたいと――」 真面目な顔をしてミッターマイヤーはそう言った。それに対し、ロイエンタールは意見を遮るように片手を数度振る。彼の顔には苦笑を浮かんでいた。 この男は何も判ってはいない。上流貴族という連中がどれだけ救い難い魂を持っているかを――。 先程、若干過去の記憶を検索していたからかも知れない。彼がそんな考えを抱いた時、不意に脳裏に子供時代の記憶が去来した。 その僅かな瞬間、彼の金銀妖瞳が僅かに揺らいだ。本当に一瞬の出来事であり、彼はそれをすぐさま消し去る。しかし戻ったはずの表情は、苦笑から更に発展を遂げていた。 「――親が許す訳がない。奴らにとっては、貴族の義務より我が子の命が大切で、そして下級貴族や平民の命は屑だからな」 「…それが卿の哲学か」 僅かに嘲笑すらも含んだロイエンタールの口調に対し、ミッターマイヤーの台詞は、奇妙に冷静だった。強い調子でもなければ弱々しくもない。只、淡々としていた。 その声に、ロイエンタールの思考は立ち止まる。思わずミッターマイヤーをまじまじと見てしまう。蜂蜜色の髪を持つ大尉は相変わらず腕を組んだまま不動の体勢だった。只、真っ直ぐに、グレーの瞳がロイエンタールを見据えている。 ミッターマイヤーにはロイエンタールを気遣う様子もなければ戸惑う様子もない。只、冷静に観察しているような視線を浴びせている。――何を饒舌に語っているのかとロイエンタールは我に返る。 どうも必要ない事を喋ってしまったようだった。今日は酒は入っていないのだから、酔いに任せた訳ではないのだ。我ながら、この男――ミッターマイヤーの前では素に戻ってしまいがちな気がした。いや、自分が気付いていない「素」を勝手に呼び起こしてくれるような、そんな妙な磁場を持っているようだ。 あちらにそんなつもりがないのは判っているし、その実はその状態に悪い気もしないのだが、多少気を付けた方がいいのかもしれない――ロイエンタールはそう結論付けた。 06/11/09
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