俺とミッターマイヤーは軍人としての最高位に就いてしまった以上、非常に忙しい。そんな日々だがふたりして仕事を定時で切り上げる事が出来そうだったので、久々にふたりで酒を飲む事にした。
 俺としてはいつものように外で飲んでも良かったのだが、明日が休みという事もありどちらかの家を酒宴の会場とする事になった。
 そうしたら、奴が俺の肩を叩きながら「久々にエヴァの料理を食べに来い」と誘ってきた。俺としては、料理など水準以上の味であれば別にどうでも良かったのだが、あいつがあまりに楽しそうな笑顔を浮かべていたので断るのも何だと思った。それに、彼女の料理は世辞など必要なしに、俺もその質を認めていた。
 結果的に、俺は奴の家に招かれた。上機嫌で帰宅して妻に出迎えられる奴の後ろに俺は立ち、彼女に対して軽く挨拶をする。それで儀式は終わり、俺は奴と共に酒と食事を楽しむ事が出来る。
 奥方は俺と奴の邪魔を一切しない、出来た妻だった。食事も俺と奴のためだけに居間に持ってきてくれて、彼女自身は割り込んでこない。用事が済んだら夫にさえも大して話し掛ける事もなく、さっさと引っ込んでくれる。まるで、使用人のようだ――平民の妻とは、かくあるように躾けられているものなのだろうか。
 俺はグラスを傾けつつ、ふと部屋の時計を視界に入れた。結構な時間になっている。多少酔った自覚はあるが、時間からしてかなりの量を飲んだ計算になるだろうか?それとも、奥方が散々出してくれる料理と共に酒を嗜んでいるから、酒そのものの量はそれ程進んでいないのだろうか。
「――時間が気になるのか?」
 俺の耳に親友の声が届いた。どうやら俺の視線は、傍からも判り易い代物であったらしい。
「何…自覚はなかったが、随分と遅くなってしまったと思ってな。卿と飲んでいると時間が経つのを忘れてしまう」
 俺がそう言って笑うと、奴も相好を崩した。俺の台詞は嘘ではない。この男とならば何時までも話していたいし、そう思っていたのに時間の方が早く経ち過ぎているのではないかと言う気さえしていた。
「あまり遅くまで世話をして頂くとなると、奥方には御迷惑だな」
 しかし、俺も礼儀と言う奴を知っている。だから、一応そんな事を言ってみた。
 それに対してミッターマイヤーは手を軽く振る。慌てた感じで俺の気遣いを交わした。
「いや、彼女もそろそろ休みの挨拶に来るだろう。卿は少しばかり食器を片付ける手伝いをしてくれたら、気に病まないでいい」
 それもいつもの事だった。奥方が(我が家の使用人のように)休む旨挨拶をしに来る。
 そして俺達はその後も残りの酒を飲み、気が済んだらそれらをある程度自力で片付ける。その後は俺はシャワーを借り、置かせて貰っている着替えの室内着を着て、いつものゲストルームを借りて泊まる。今晩も、そんな感じになるだろう。俺にとっては非常に都合がいい事だ。
 ミッターマイヤーは自らのグラスを手に取った。この家の主人である奴は既にシャワーを浴び、私服に着替えている。ひとりだけこざっぱりとしてしまっていた。
「やけに時計を気にしているから、また約束でもあるのかと思ったぞ」
「今晩は入れてはおらぬよ」
 ――どうも、拘る奴だ。俺は苦笑した。
 俺は今晩は「約束」は入れてはいない。それがないからこそミッターマイヤーと酒を飲む事にしたのだし、むしろ酒を飲む機会はあまりないのだから「約束」の方を反故にしたかもしれない。それ程に俺はこの時間を楽しんでいるのだ。俺はこの時間に浸っていたい。
 軽くグラスを傾けたミッターマイヤーは、ふとそのグラスを下ろした。かつんと言う音を立て、グラスがテーブルに接触する。そして奴は俺を見据えて言い出した。
「しかし、卿もそろそろ結婚を考えたらいいのだ」
「結婚?」
 その言葉を、俺は鼻で笑ってしまう。何が「そろそろ」なのだと聞き返したい気分だ。
「俺には無理な相談だ。卿にもそれは判っておろうに」
 奴と知り合ってから、たまにこのような話を勧められる。が、俺はその度に交わしている。奴も俺の人となりを充分判ってきているだろうに、どうにもしつこい。
「卿とて、もう結構な歳だろう?」
「とは言え俺と同じ歳のビッテンフェルトにも未だそのような縁はないようだし、年長の連中にも独身は多い。このような戦時で相手を上手く見つけている奴の方が変なのだ」
「…変とか言うな」
 俺の台詞に引っ掛かりを感じたらしい。奴は眉を寄せて腕を組んで真面目腐ってそう言った。そんな奴を片手で指し示し、俺も告げる。
「ともかく、俺には未来永劫結婚の意志などない」
「卿は貴族だろう?後継者はいいのか。折角の莫大な財産だろうに」
 …おいおい。俺は更に苦笑を深めてしまう。どうしたのだ一体。
 普段は貴族などは「いずれ消滅する階級」として念頭に置かない奴なのに、こういう時に限って貴族の血筋を大切にするのか。実際に、ローエングラム王朝になって新たに貴族に奉ぜられた人間は居ないのだ。それがこの王朝の方針なのだろう。
 それに財産に関しても、己自身が元帥として莫大な金額を手中に収めつつあると言うのに。確かに俺の財産は先代譲りの部分も大きいのだが…。いざとなれば何処かの福祉団体に寄付するなり、いっそ自分で基金でも立ち上げて組織立って運営させるなりするかとか――互いに苦笑し合ったのを忘れたとは言わせんぞ。
 親友が自分を棚に上げている。それが俺に苦笑を誘う。その苦笑が自嘲になるのに、大して時間は掛からなかった。そして、自嘲に気付いた時点で、俺はその笑いを消した。
 俺の血を引く人間が、この世に残るのか?
 遺すような真似をしろと言うのか?
 ――親友とは言え、馬鹿馬鹿しい気の遣い方だ。俺はそう思う。
 この親友の血を引く者ならば、男女問わずいくらでも残って欲しい。それが帝国のためだろう。が、俺の血筋なぞ、残してしまっては、害悪以外の何もなるまいて――。
 そういう思いが脳裏に去来する。
 幸い、今までも子供を作ったなどと言う話は訊いてはいない。俺には能動的に作る気は無論ないし、作る気が無い以上は自前で避妊は心掛けている。
 付き合った女のその後を追跡調査する気はさらさらないが、捨てた女がそれなりの家門の人間ならば、ある程度は訊かずとも伝わってくるものであろう。そして現在、俺は昔の女に養育費を請求されるような目には遭ったことがない。どうやら俺は漁色家として、後腐れないように割と上手くやっているらしい。
 俺にとって、女や子など、その程度の存在だ。こんな人間が、誰かを愛せる訳もない。――仮に種を蒔いた挙句に「我が子」が湧いてきたとしても、その子を愛す資格もない。
 そこまで考えて、俺はその思いを鼻で笑い飛ばした。そして、俺はグラスを勢い良くテーブルに降ろした。かんと言う硬い音が響く。
 おそらく、俺は酔っている。だから、脳裏によぎった嫌な考えを打ち消すように、奴に対して言葉を放ったのだ。
「ロイエンタール家は俺で終わりさ。ありがたい事に兄妹も居ない。後世に迷惑の種を残さずに済む」
 これはいつも、俺が言う類の台詞だった。それに過ぎなかった。
 だから、ミッターマイヤーもいつものように苦笑するやら呆れるやらで流してくれると思っていた。何時だってこの男は、俺の親友として俺の台詞を受け止めてくれる。
 果たしてミッターマイヤーは、少し困ったように笑っていた。軽く眉を寄せてはいたが、怒っている様子はない。俯き加減にテーブルの上のグラスに視線を落とす。そしてそれを握りつつ、視線を上向かせた。片眉を上げ、口元には苦笑いを浮かべている――困った奴だ。そう言いたげに。
 悪い印象が込められた顔ではなさそうだ。だから俺もにやりと笑う。更に台詞を継ごうとした。
 が、そんな時だった。
 ミッターマイヤーの視線が別の方向に向けられていた事に気付いた。
 何時の間にかの話だろうか。俺から、別の方を向いている。
 そして、そんな奴の表情が変わっていた。
 顔から苦笑が消え去り――呆然とした…いや、愕然とした表情になっていた。グラスに手を掛けたまま、テーブルから持ち上げようとはせずに固まってしまっている。しっかりと視線が向こう側に固定されていた。
 俺は何事かと思い、奴の視線を追った。
 奴と俺の視線の狙点に、エヴァンゼリン・ミッターマイヤーが立ち尽くしていた。

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