すっかり夜も更け、フェザーン特有の星座が満天に展開されている。今晩は大気が相当に綺麗なのか、星は落ちそうな程に輝いていた。植民星ではなく文化が独自に発展した惑星であったなら、この夜空こそが信仰の対象になったのではないかと思われる程に素晴らしい眺めである。
 星の海には仕事上慣れているはずだが、ミッターマイヤーは地上から見える星の大海を素晴らしいと思っていた。歩道の街灯を補助出来るまでに星灯りが明るい。薄暮の中を歩いているようだと彼は感じる。
 マントを片手に、上着をマント代わりにした状態のまま、彼は歩道を歩き続けていた。ケネス達と別れた後には、誰ともすれ違わない。もっとも、誰かに見られては酔っ払いか不審者かと誤解されそうな状況である。巡回の憲兵に出くわしたなら、まず職務質問を受ける事は確実であった。
 が、彼は全くこの服装を気にはしていなかった。――もうここまで来たら後は家に帰るだけだ。今更まともにしたって、どうせ脱ぐんだから意味ないさ。そんな事を思っていたのだ。
 そんな風にして、彼はようやく自宅の前の通りまで辿り着いた。独り暮らしのため当たり前ではあるが、彼の自宅に灯りはない。それを見て、今自分は独りなのだと不意に侘しくなる日もあった。彼は早く妻と再会したかったが、状況がまだそれを許さない。
 ――戦争がなくなればいい。
 彼は、先程のケネス達との会話を思い出していた。あの素直で利発そうな子供達の顔が脳裏に浮かぶ。顔立ちや名前の語感などを鑑みるに、様々な民族の子供達であっただろうと彼は思う。なのに全員と帝国共通語で意思の疎通を図る事が出来たのは、それなりに勉学の環境が整っている子供達なのだろう…――豊かなフェザーン人として、人生を満喫しているのだろうと彼は感じる。
 戦争がなくなれば、俺もようやくゆっくり出来るだろう。そうすれば、エヴァとも離れずに済むだろう――彼の脳裏に妻の顔が浮かぶ。クリーム色の髪と大きなすみれ色の瞳を持った少女のような顔立ちの妻を、いつなんどきでも彼はすぐに思い浮かべる事が出来た。
 ――エヴァといつも一緒に暮らせるようになったら、子供を作り育てる暇も出来るだろうか。
 彼は貴族や大富豪の出身ではないので、世継ぎの心配は全くしていない。だから特に自らの子供を熱望していた訳ではないし、ここまで離れ離れになる日々が日常化してしまってはその機会がなかった。そのためなのか、妻と結婚して8年の歳月が流れているが、未だに子供に恵まれていなかった。
 彼は今までそれを残念だとは思ってはいなかった。しかし今日の子供達を思い出すと、自分にも子供がいたらいいのになとふと思ってしまっていた。
 ――あのような素直な子供が俺の元に遣わされてくれたら嬉しい――いや、子供はいるだけで嬉しい存在だ。産まれてきてくれた事に感謝してこそ、子供なのだ。そんな思いが彼の脳裏に渦巻く。自分の子供時代の事を思い出し、平凡な時代ながら親にも友達にも教師にも周りの大人にも…全てに恵まれてきた環境に感謝したくなる。
 そんな事を考えつつ、彼は自宅の前に立つ。――平凡な一軒家ながら、仮にも帝国最高幹部の家である。人心安定のためにもセキュリティだけはしっかりと備え付けてあった。窓や外壁なども強化されており、簡単な銃火器程度ならば防御出来る状態になっている。
 そして唯一の入り口である門扉は眼底情報と指紋によるオートロックになっていた。そのため、ミッターマイヤー本人しか絶対に解除出来ない事になっていた。如何なる用件があっても、彼以外の人間は鍵を開ける手段がなかった。あくまでも、自宅内に居る彼の許可により、内側から門扉を開けるしかない。多少煩雑だとは彼は思っていたが、自宅に居る事自体が少ないので、この程度の事は許容範囲だった。
 彼が自宅の前に来ると、センサー式のライトが点いた。近くを誰かが歩く度にライトに照らし出される形になっている。これまた少々鬱陶しいが、この辺りは特別人通りが多い訳でもない。夜となれば尚更だった。そのため、不審者への威嚇のためには致し方ない処置だった。
 と、そのライトのすぐ傍に人影が浮かび上がる。
 ライトの至近距離に立っていたために、センサーが用を成さなかったのだ。
 ミッターマイヤーは身構えた。平時のため生憎とブラスターは携帯していなかったが、この距離ではそもそもブラスターを抜いて構える暇があるとは思えない。反射的にマントを持つ手がさっと動き、何処から抜かれたのか戦闘用ナイフがそこに現れていた。彼が今浮かべている表情は、おそらくはケネス達には全く想像がつかない代物であった。
 ナイフを抜き、構え、何時でも応戦出来るように体勢を整えるのに数秒。ライトの逆行によって、人影の姿や人相は未だ判別できないが、ミッターマイヤーは誰何の声を上げようとした。が、その前に人影の方が反応する。
「――……そんな物騒な物を、よりにもよって俺に向けるな」
 呆れたような声であり、ミッターマイヤーが想定していない類の発言だった。
 彼にとって聞き慣れた声が脳内に反響しているうちに、彼の瞳孔が光量を調節してようやく人影を認識出来るようになる。
「全く…卿は今日は殆ど残業していないのではなかったのか?何故ここまで帰りが遅いのだ?」
 当然のようにミッターマイヤー宅の門扉の前に立っているのは、同じ階級の軍服を纏った人間である。只、マントが彼とは違い、深い青に染め抜かれていた。夜闇に紛れ深く沈んでいる色合いの部分と、ライトに照らされて光沢を含んでいる色合いの部分が両立している状態だった。
「オーディン時代なら卿が不在であっても奥方に頼んで待たせて貰えたのだが、今は独り身であったな。卿も元帥かつ国家要人なのだから使用人位雇え」
 ミッターマイヤーの視界が正常化して、目の前の人間が誰なのか認識出来た今となっても、彼は只固まっていた。そのため、目の前の軍人に好き勝手な発言を許している有様だった。が、そろそろ彼も自失から立ち直りつつあった。
「………ロイエンタール?」
「他の誰に見えるのだ?」
 ようやく自分を取り戻しつつあるミッターマイヤーの小さな声に対し、相変わらずの調子で返していく彼は、紛れもなくオスカー・フォン・ロイエンタールその人だった。

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