宇宙歴799年、新帝国歴1年10月。惑星フェザーン。
 ローエングラム王朝初代皇帝であるラインハルト・フォン・ローエングラムは、この年に王冠を自らの手に抱く。そして1年も経たぬうちに、旧王朝ゴールデンバウムにおいて首都星であった惑星オーディンから惑星フェザーンに大本営を移転した。
 大本営の移転自体は、迫る同盟との戦いへの便宜を図るためであるが、皇帝はこの移転を「一時的なものであらず」と位置づけた。そして実際、フェザーンには軍務だけではなく工務などの機関も移転を開始しつつあった。いずれ正式な遷都も遠い話ではないだろうと、帝国人のみならず生粋のフェザーン人達の間でも噂されていた。
 帝国軍元帥であるウォルフガング・ミッターマイヤーは皇帝や彼以外の帝国軍高官に先立ち、8月にフェザーンへ出立し、到着していた。元々フェザーン進駐を果たしたのは彼の艦隊であり、それ以降の1ヶ月弱を彼はフェザーンに滞在していた。その時に使用していたホテルをそのまま今後も大本営として使用する事は確定しており、ミッターマイヤーも一から生活の基盤を築く必要はとりあえず回避された。
 彼は性根から根無し草と言う訳ではなく、実家にも恵まれ現在は妻がいる。しかし軍人となって以来今に至るまで最前線を勤務先とし続けており、結果的に住居を点々とする生活が続いてる。そして彼は現状肯定を是とする性質であり、様々な勤務地においても楽しみを見つけるのが常であった。
 現在フェザーンに置かれている元帥府は、元々彼自身が「神々の黄昏」作戦においてフェザーン進駐を果たした際に接収したホテルである。特に最高級の施設を持つ訳ではないが、宇宙港などへのアクセスが容易と言う理由で現在も使用されている。
 ミッターマイヤーの現在の居住地は仮住まいに過ぎない。大本営から数十分の距離にある官舎街の一角に位置するこじんまりとした家屋であり、いずれ本格的な遷都が決定した暁にはもう少しきちんとした一軒家を借り受けなくてはならないと考えていた。何せ遷都が確定したなら帝国政府の人間は家族を呼び寄せる必要を生じ、そして彼には妻がひとりいるのだから。自分だけならともかく、妻と共に暮らすのならば、彼は出来得る限りその妻に不自由はさせたくはなかった。
 しかし現状は、大本営から徒歩数十分の家屋在住の身である。その距離は徒歩でも地上車でも移動が適当なものであり、彼はその時々の気分と時間的余裕に合わせて交通手段を変えていた。
 無論当人がこの調子なのだから、仮にも帝国軍最高幹部である元帥だと言うのに、護衛などつけようがない。もっともこのローエングラム王朝の幹部達は、護衛を引き連れるような事は殆どなかった。





 ミッターマイヤーは当面デスクワークに追われる事となっていた。宇宙艦隊司令長官としての任で近くの星域での演習をついこの間終了したばかりで、それに伴う書類の山が演習から帰還する途中から旗艦にて山積みにされ始めている。
 彼は知より勇を好むと評される人間ではあるが、それは知性が欠けていると言う意味合いではない。性格上、勇敢で行動的な人間であるだけであり、分析力や思考力は並の人間以上を持ち合わせている。逆に評するならば、能力はあるのに彼の嗜好がデスクワークに向かないのであるのだから、単に能力が足りないよりも始末が悪いのかもしれない。
 ともかく彼は1日中書類の決裁や自らの報告書作成に明け暮れていた。戦わぬとは肩がこる事だと彼は思っているが、これもまた元帥としての仕事なのだから仕方ないとも言い聞かせる。そして書類処理に関する能力が本来は並の人間を遥かに凌駕しているだけあり、秘書官の役目を果たすビューロー大将を内心はらはらさせつつも書類の山を着実に少しずつ減らしていっていた。
 書類の量は多いのだがその処理が順調なので、彼は特に残業をしなかった。余計な残業をする事は、部下にも残業を強要する事にも繋がりかねない。彼は自分の経験上、それを知っていた。
 だからこの日も、夕方を迎えビューローと書類の進捗状況を話し合った結果、安心して帰宅する事になったのだ。

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