玉座
 平民であるこの自分が、玉座をこんなにも間近で見る事が出来る距離に立っている。
 そして、段差がつけられた下段の大広間には、大勢の文官と武官がかしずいている。
 こんな事は数年前には全く想像していなかった事だ――ウォルフガング・ミッターマイヤーは新無憂宮の広大な「黒真珠の間」に控えつつ、そんな感情を抱いていた。
 
 無論下段に居る無数の文官武官は壇上の更に1段高く設けられた玉座に腰掛ける皇帝に対して拝起しているのであり、壇上に立っている彼に対して敬意を表している訳ではない。彼自身も皇帝に対して最敬礼する立場である。それは彼と並立している上級大将ふたりも、向かい合う各省尚書も同じであった。

 しかし、玉座に座る皇帝に対して、この場で只独り頭を垂れない人物が存在した。
 
 もっとも完全に礼を逸するとなると、不敬罪を免れない。そのためか、玉座の隣に立った段階で完璧な礼儀作法をもって皇帝に対して最敬礼を取って見せている。
 しかしその後は傲然と直立している。その優美な姿は、だぶだぶの服飾と頭に合わない帝冠を戴いている貧相な少年皇帝と見事に対比していた。遥か未来の人間が今回の記録映像を見た時には、むしろどちらが皇帝かと問いかねない光景である。

 この大広間に居並ぶ無数の人間は、玉座に着く子供が傀儡に過ぎない事を知っている。
 武官達はつい先日終結したばかりの内戦の当事者であり、文官達はその戦いの行方を見守っていた。どちらにとっても生々しい記憶が残されている。
 そんな事情があったのに、尚「皇帝は神聖不可侵である」と言う大義名分を信じる事が出来る人間は、少なくともこの大広間には存在しなかった。そのため彼らの皇帝に対する拝礼も、この金髪の新宰相と同じく形式的なものに過ぎない。

 しかし、形式的な拝礼に紛れて、真の意味での忠誠心をもって最敬礼を行った者も存在している。
 それは皇帝に対してではなく、その隣に立つ金髪の独裁者に対する忠誠であった。
 後に本当に皇帝陛下と呼ばれる事になる誇り高き獅子に対して、この段階で内心忠誠を誓っていた者の数は不明である。武官に関しては元々が彼の私兵集団に近い部分があったが、文官も彼の開明的な政策を是とする者はとりあえず彼を支持していた。一部の人間のように心酔しないまでも、実利的な意味でローエングラム公を支持する人間の数は以前よりも確実に増加はしていた。

 ――以上の事情を、ミッターマイヤーは大体把握していた。

 彼にとって政治は苦手分野であるが、ローエングラム公に与する以前から既に「閣下」と呼ばれる身分を手にしていた人間である。世の流れを読む能力を人並には持ち得ていた。
 そして彼こそが、ローエングラム公に初期の段階から忠誠を誓っていた人間のひとりである。この大広間にて、皇帝ではなく宰相に真に最敬礼を行った人間の筆頭であった。

 彼は自らの生命をローエングラム公に救って貰う代わりに、自身の能力と将来とを公に捧げた。
 公の「野望」を秘密裏の会談で聞かされた時には、ミッターマイヤーは同席した親友共々軽く驚いたものであった。が、何故か大それた事であるとは感じなかった。
 そして今、公の独裁体制が整った。国の実験を握り、野望は半ば達成された。

 頭を下げたミッターマイヤーは、伏し目がちに大広間を見回した。居並ぶ無数の人間がそこに存在し、数段高い彼の視点からは正に圧巻である。
 おそらくは平民がこんな所に昇った事はないだろうと彼は思う。少年皇帝は臣民の事には興味がないから自分の出自を知らないだけであり、仮に平民だと知れたら追い出される事だろうと感じる。ある程度歳を重ねた凡庸な傀儡であれば、実際にそうされたかもしれない。

 皇帝の神聖不可侵は伝説に過ぎないと、この広間の人間は全員思っているだろう。
 しかし、平民が軍事の要職に付く事に難色を示す人間は少なからず存在するだろう。内戦で生き残った中流以下の貴族も、当の平民自身も。
 それこそが500年間続いたゴールデンバウム王朝の強固な呪縛である事を彼は知っていた。

 下級貴族が軍事・行政の要職を占めているのは、宰相閣下自身が下級貴族の出身なのだから理解出来る。しかし、平民が要職に就くとは一体どんな人事だ――そのような論旨を、ミッターマイヤーは耳にした事はある。
 その言い分自体は、出世欲がまるで存在しない彼であるから気にする事ではなかった。仮に身分で出世が止まるならば、下級貴族故に自分よりは身分が保証されている親友の下で働くのもいいだろうと昔から思っていたのだから。
 しかし実際には上級大将の地位を与えられた。このまま軍において地位を極めていく事が許されるならば、いずれは彼の視界に元帥杖も見えてくるのだろう。

 ローエングラム公の親友であり、彼を庇って落命したキルヒアイスには、死後ではあるが帝国元帥の地位、更には存在する限りの軍の要職の称号を与えられている。
 無論彼がローエングラム公の掛け替えのない親友であり、また公の判断ミスが彼の死を招いたと言う負い目こそが、公にこのような行動を取らせた事は、誰もの想像に難くない。
 しかし、歴史には、単なる平民が死後であるがこれ程の栄誉を得たと言う事実が確実に残される事だろう。そして生きているミッターマイヤーは軍の最高位に手が届く所まで来ている。

 物凄いまでの常識の覆り方だと、ミッターマイヤーは思わざるを得なかった。平民出身の士官はこれからは自分を目標として上を目指すのだろうかと、不思議な気分になる。

 自分の出世はどうでもいい。
 しかし、平民に希望を与える事が出来るならば、今の自分の立場は悪くないとミッターマイヤーは思った。今後も水面下で存在し続けるであろう貴族からの差別意識や平民自身の卑下意識が、出来る限り解消されたらいいと思っていた。
 彼は軍人であるから、出世の基準は武勲である。そう言った意味では非常に判り易い。

 ――確かに公は解放者と呼ばれるに相応しい。
 ミッターマイヤーは現在、皇帝の玉座から僅かに1段、距離にしてほんの数メートルしか離れていない地点に立っている。
 そんな彼は数年前、突き詰めれば「平民である」と言う理由から、閣下と呼ばれる身分でありながら謀殺の危機に晒されたのだった。
 そのような、以前の世の中には有り触れた出来事が、この独裁体制においても招来しない事を彼は祈りたかった。
 また、そんな世の中にさせないためにも、彼は与えられた力を使っていくつもりだった。彼は部下や臣民を理不尽な状況に追い込みたくはなかった。
 まあ、特にストーリーがある訳でもなく。むしろトークに近いかも。
 
 ミッターマイヤーって本当に立志列伝を地で行ってる奴だよなーと思うよ。後ろ盾なしで実力のみで将官まで出世して、その後はラインハルトと言う「主君」に将来を賭けたら賭け金100倍返し。新帝国建国の中心人物4人の中で只独り生き残った。敵も(その時点では)目立って存在しない。どう見ても一人勝ちです本当にありがとうございました。
 
 でも本人はあくまでも出世する気なし。出世しても全く驕っていない。妻への、あくまでもプライベートな手紙で「無事に帰れる事を主君と部下に感謝したい」と書いちゃう位に。自分の能力云々とは全く書いてやがらねえ。厭味なまでに無意識に他人を立てる。
 オーベルシュタインは私欲がない事こそが彼の私欲でありそれを振りかざせる事が彼の強みなのだが、ミッターマイヤーは私欲がない事こそが武器になる事に全く気付いていない。だからこそ部下や仲間に愛される。

 第1期ラスト付近に、ラインハルトが宰相任命されたりするシーンがあって、その場に武官文官全員集合・尚書や軍の中心人物は宰相と同じ段に立っている…みたいな感じのようです。そんなキャプ画像をネット上で見掛けた時に、この話が思い付きました。
 多分尚書レベルの文官は元々貴族であった人物が多いと思われるし(武勲で単純に評価される軍人とは違い、文官の高官レベルに平民を登用出来るような基盤はまだ出来上がってないと思う)、上級大将他2名は下級とは言え貴族だからまだゴールデンバウム朝の常識にぎりぎり引っ掛かってるだろう。
 でも、ミッターマイヤーは純粋に平民だから、彼が上級大将に登用される(しかも傀儡とは言え皇帝からあんなに近い位置に立つ)ってのは、身分を問わず帝国臣民にとって物凄いパラダイム・シフトだろうなあと思います。今後もっと凄い事になる訳ですが。
 裏表問わずに色々言われたかもしれないなあ。本人は気にしてなさそうですが、親友がむしろ怒ってそうだ。
 
06/04/07

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