逆撃
 第二次ランテマリオ会戦と呼ばれる戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。
 この会戦の別名である「双璧の争覇戦」に相応しい戦闘がランテマリオ星域で行われていたが、12月3日に叛乱軍が撤退を開始した。帝国軍別働隊であるメックリンガー艦隊がイゼルローン回廊を通過したとの急報を受けての行動であり、帝国軍側もすぐにそれを察知し呼応して軍を動かし始める。
 結果、狭義での戦闘状態は脱した格好にはなったが、広義での戦闘は未だ続いている。帝国軍が撤退する叛乱軍を捕捉する可能性は高く、また叛乱軍側も何時かは逆撃体勢に持ち込むつもりであるのは明らかであった。
 「双璧」と呼ばれるふたりの用兵家は、互いの軍をレーダーですら捕捉不可能である距離まで引き離した時点ですら、知略を戦わせている。彼らは、帝国軍が誇る稀代の才能であった。しかし惜しむらくは、その片割れが叛乱を起こした現在では、その事実は過去形で表す他ない状況である。
 彼――オスカー・フォン・ロイエンタールは、元帥号を剥奪され、総督の地位を罷免された、法的に紛れもない帝国の敵となっていた。



 帝国軍の姿がレーダーで捉えられるようになってきた旨が、旗艦の索敵担当のオペレーターから彼の元へ伝わってくる。
「――そうか、やはり早いな」
 オペレーターの幾分焦燥が感じられる声を耳にしたロイエンタールは、指揮シートに悠然と腰掛けたままそう言った。顎に手を当て、口元には僅かに笑みを浮かべている。
「いかが致しましょうか」
 ロイエンタールの副官であるエミール・フォン・レッケンドルフ少佐は、司令官の脇に直立して指示を仰いだ。彼の表情は司令官よりもオペレーターに近いようで、緊張と不安が入り混じった顔をしていた。自らの本拠が失陥される可能性も高く、しかも背後の敵に追い付かれつつあるとなれば、それが常人の反応であったに違いない。
 彼の視界の向こうでは、上官が相変わらず顎に手を当てていた。僅かな時間、考え込むような素振りを見せる。そして、ふと思い出したかのように、レッケンドルフに視線をやった。

「そうだな…今日は6日か」
「…はい」
 上官は本当に何気ない口調で尋ねてきた。一風世間話の延長線上のような台詞に、レッケンドルフは一瞬戸惑った。が、事実を回答する他なく、彼は上官の台詞を短く肯定した。
 レッケンドルフの回答に対し、ロイエンタールは軽く首肯する。顎に当てた手を外した。
「あの疾風ウォルフから3日間逃げおおせたとすれば、我々も上出来だ。そろそろ頃合いだろう」
 彼のしなやかに翻る手には白い手袋が付けられている。レッケンドルフはその手を見やりつつ、上官が出した固有名詞に耳を奪われざるを得なかった。しかし当人であるロイエンタールは、その通称に対して特に思う所はない様子である。少なくとも、レッケンドルフがその内心を悟る事は出来なかった。

「撤退は続行するが、最後尾の我々が敵軍の追撃を阻まねばなるまい。その準備に取り掛かるとしよう」
 ロイエンタールは淡々とした口振りでそう言った。それに対し、レッケンドルフが姿勢を正しつつ進言する。
「閣下、それでしたら旗艦は逆撃戦に参加する必要はありますまい」
 副官の進言は、ある意味ではもっともなものである。この軍の最高司令官がロイエンタールである以上、彼に何かあれば士気は即座に瓦解する。それを避け、再起を誓うためには危険から出来る限り身を遠ざけるべきである――とは、言うまでもなく正論の一種であった。
 しかしロイエンタールは、その副官をむしろ鬱陶しげに見やった。
「…我々とて何処までも逃げおおせるものではない。今回の相手があの疾風ウォルフである以上、逆撃の細かな指示は、その場にその身を置いておかねば適うまい」
 ――俺は、他の提督の技量も忠誠心も、まるで期待していないのだから。このような逆境の中で、このような作業は、俺本人にしか任せられないのだ――とは、彼の心の中の声である。が、彼はそれを副官に対して発する事はしなかった。
「俺の直属艦隊と、左右からいくらか艦隊を使って逆撃の態勢を整える。それ以外の艦隊は、これまで通り撤退を続けよ――そう、伝達せよ」
 話を打ち切る合図のように、ロイエンタールは両手を軽く合わせた。白い手袋で覆われた手が、僅かに小気味よい破裂音を引き起こしていた。



 ロイエンタールは自らの軍勢の最後尾部分を占める艦隊の進軍速度を、少しずつ落とし始めた。それ以降の艦隊はそのままの速度を保つようにさせる。そして彼が選んだ艦隊が徐々に編成を変更し、逆撃の態勢を整える。
 その間、敵軍は追撃を続けている。彼らに追い付かれる前に逆撃の編成を完了させ、それが終わった段階で進軍速度をコントロールする。そして、敵を引き付けた挙句にこちらに有利と思われる星域・時間にて戦端を開く――これがロイエンタールの戦術目標だった。
 上手く敵を引きずり込む事が出来たなら、それぞれの尖兵を各個撃破の対象にするまでである。有利な状況で戦って敵の勢いを削ぎ、ある程度の段階で再び撤退を開始する。計算上は、それをやりつつ旗艦までもがハイネセン帰着が可能であるはずだった。
 ――この速度での航行ならば、半日で敵軍は我々を捕捉する。それまでに、逆撃の態勢を整える必要がある。司令官であるロイエンタールはそう結論付け、行動した。逆撃戦に参加させる艦隊の提督と連絡を取り指示を出す。星図を手元のディスプレイに映し出し、最大限に有利に戦えるであろう近くの星域を検討していた。
 もっとも、彼とて自らの作戦は「数多の凡将ならば殲滅出来る」程度の代物だとは判っていた。それ以上の用兵家が、彼の策に完全に陥るとは思ってはいなかった。ましてや、彼が今戦っている相手の恐ろしさを最も良く判っているのは、当の彼自身である。

 果たして、彼の懸念は的中する。
 ロイエンタールが追撃戦に備えて陣形を編成し始めた頃、敵の追撃の勢いが鈍ったのである。  索敵レーダーに掛かる間際で敵軍の動きが鈍化する。それでもレーダーから艦影が消える事はなく、明らかに心理的圧力を狙った行動であった。
 司令官であるロイエンタール自身は豪胆な人間でありそのような小細工を意に介さないであろうと、そのレーダーを直に見ているオペレーター達の緊張は計り知れないものとなる。もっとも、同じ帝国軍艦である以上、レーダーの装備は双方変わりがないはずである。そのため、速度を合わせて追っている側のオペレーターも神経をすり減らしている事であろう。
 違うのは、仕掛けている側と仕掛けられている側とで、心理的優位性に差がある事だ。そしてそれこそを「敵」は狙っているのだろうと、ロイエンタールは悟らざるを得ない。

 ――奴も案外搦め手が上手いものだな。
 ロイエンタールは「敵将」に対して、幾分は素直に感嘆の念を抱いた。次いで、用兵家としての知性に刺激を受け、金銀妖瞳が煌く。
 これで、仕掛けるタイミングを計るのがますます重要になった。が、あまり時間を費やしていては、メックリンガー艦隊がハイネセンに到着してしまう――ロイエンタールは、最初から少なかった自らの選択肢が更に減らされたと認める。

 結論として、自分達の側が寡兵になる可能性が高くなった事を鑑み、ロイエンタールは逆撃戦用の艦隊に対して「撤退」の速度を上げるよう命じる。それにより、逆撃の陣形を保ったまま、背後には更に別の艦隊を配置する事になった。それらの艦隊も逆撃の陣形に含める事により、敵軍の追撃に備える形とした。
 逆撃用の陣形を取っていた艦隊の撤退速度が上がると、それに合わせて追撃の速度も上げられた。結果として、ロイエンタール軍の索敵レーダーの縁ぎりぎりに敵軍がフォローされる状況は一切変わりがなかった。
 機械的とも表現出来る執拗さに、ロイエンタールは苦笑交じりになる。ともあれ彼にはこれにより、相手の狙いの真意が把握出来た。
 ――揺さぶりに他ならない。そうなれば、こちらが撤退速度を緩めた時、相手が乗ってくるかが鍵だ。もし乗ってこないならば――そのまま突っ込んでくるならば、それが戦闘開始の合図だ。あちらがキャスティングボードを握っているように思えるが、ならばこちらがたまには押してみるか。受動的に応対するだけではつまらんのでな――。
 ロイエンタールの脳裏にはあたかも三次元チェスの盤面のように、星図と艦影が浮かび上がっていた。それを使い、脳内でシミュレートを繰り返す。そしてそれは相手側も行っている事だろう。



 明けて12月7日。双方の司令官を始めとして、全軍の将兵が一度は睡眠を摂る程度の時間が過ぎていた。
 当初のロイエンタールの予定では、既に逆撃戦に突入しているはずであった。しかし撤退の速度に合わせ敵軍は進軍速度を自在に変化させ、誘うように突出しても未だに乗ってこない。案外気の長い男だったのだなとロイエンタールは親友評を若干改めた。
 ――「親友」と戦っているはずであるが、彼は未だに抑え難い高揚感に満たされていた。このように知略を尽くして戦う相手など、彼には他にいなかった。旧同盟の魔術師ヤン・ウェンリーを相手にした時にも似たような感覚を抱いたが、彼は既に故人である。
 そんな自分を、度し難い男であるとロイエンタールは自嘲する。戦えばどちらかが死ぬかもしれない、殺すかもしれないと言うのに――。

 索敵レーダー担当のオペレーターが異変に気付いたのは、その頃だった。
 今までは敵軍はレーダーの縁に移るかどうかと言う状況であった。それが、今では徐々にレーダーのブルーゾーンにゆっくりと進軍を開始している。レーダーが示す光点が徐々に数を増し、それらも規則正しい動きを見せている。陣形らしきものを取り、進攻してきているのが明らかだった。

「――そうか、奴もある程度の味方を引き付けておいたか」
 レッケンドルフを通してオペレーターからの報告を受け取ったロイエンタールは、口元に笑みすら浮かべていた。
 疾風ウォルフ直属の艦隊である。最大速度で前進していない尖兵部隊に追い付く余裕は十二分にあるはずだった。更にはロイエンタール軍に呼応するように速度を調整しつつ、自分達の方も陣形を組み直したのだ。それは重厚と言って差し支えがない程度にそれなりの艦艇を率いていた。
 とは言え、相手側のレーダーも今ようやくロイエンタール側を捕捉した段階だろう。彼らもロイエンタール側の陣形を初めて確認した格好になる。その事実が司令官の推測と一致していたかは、ロイエンタールが知る所ではない。
 レッケンドルフはこの上官とはゴールデンバウム王朝の頃からの長い付き合いである。長年副官を務めている以上、その人となりをある程度は理解しているつもりであった。そんな彼でも、敵軍の司令官を「奴」と呼んだ上官の心中を類推する事は困難である。
 だから、躊躇いがちに口を開くしかなかった。

「閣下――」
「――もう、互いに限界点だろうよ」
 レッケンドルフの言葉を遮るようにロイエンタールは片手を挙げた。
 そして、指揮シートから長身を起こす。上質のシートが音を立て、彼の装着したマントが僅かにたなびいた。

「逆撃艦艇は、最大全速前進。敵軍がイエローゾーンを突破した段階にて斉射を開始する。準備するよう各艦へ通達せよ」

 ――そうだ、ここだ。ここが、勝負の場だ。
 ロイエンタールは命令を通知しつつ、脊椎を高揚感が駆け抜けて行くのを心地よく感じていた。手袋に覆われた掌には僅かに汗が滲んでくる。口の中を通過する息が、微かに熱い。

「閣下」
「敵艦の艦影はそろそろ照会出来そうか?」
 レッケンドルフの呼びかけを無視するかのように、ロイエンタールは台詞を被せる。副官は立ち止まった。先の命令に加え、オペレーターに照会画面の転送を呼びかける。
 命令伝達が機能し逆撃陣形は前進を開始する。そして敵軍の前進も止む事はなかった。そのため艦影照会システムが起動する。
「何か気になる艦でもございますか?」
「何、大した事ではない。――どうせ、最前線にはベイオウルフが居るのだろうよと思っただけだ」
 レッケンドルフは息を飲む。投げ槍にも確証を持った断言にも聞こえる上官の台詞の内容に動揺したからであった。
 が、彼の目の前のモニターには、上官の断言が正しい状況が映し出されていた。
 副官は返答を寄越した訳ではない。しかしロイエンタールは彼の様子を横目で見やり、状況を把握した。彼もまた、副官とは長い付き合いなのである。

 そしてロイエンタールは唇を吊り上げて笑った。
「敵の司令官――いや、俺の親友が、俺を倒すために、最前線に参戦しているのだ。俺がそこから逃げてどうする?卿は我が名を臆病者の代名詞として歴史に残させるつもりか」
 この時のロイエンタールの笑顔を、レッケンドルフは生涯忘れる事が出来なかった。



 ――敵、ブルーゾーンを突破。イエローゾーンへ。
 オペレーターの声色も徐々に緊迫感を増していく。只でさえ今まで神経をやすりで摩り下ろすかのような敵軍の動きに苛まれていたと言うのに、本格的な戦闘ともなれば更に落ち着きをなくしていくかのようであった。
 ロイエンタールは艦橋前面に配置されている大型スクリーンに視線を固定していた。目の前には視認用に調整された艦外確認映像が映し出されている。あたかも窓から外を見るかのように、乗員は外の状況をその目で確認する事が出来た。そこに、段々と艦影が姿を見せてゆき、その数は増えていく。そして前列の艦は徐々に大きくなっていく。

 奴も同じ感情を持って、このように立っているのだろうか。
 直立不動のロイエンタールはそう考えていた。右手をすっと胸の辺りにまで挙げる。
 艦橋全体が緊張感に支配されている。それを心地よいと感じるか、或いは逃げ出したいと感じるかは、人それぞれであろう。
 レッドゾーンに敵が侵入すれば、こちらの射程に入る。そうなれば即座に斉射する。それは間も無くだ――ロイエンタールはモニターを注視していた。
 艦隊戦を彼は幾度となく行ってきた。この戦場に到達する以前にも充分過ぎる程行ったはずであるが、彼はそれでも命令を出す瞬間を待ち望んでいた。

 ――どうせ、卿も、ベイオウルフの艦橋で同じ事をしているのだろう?
 ならば、いっそ――楽しもうではないか。

 ロイエンタールは脳裏でそう、うそぶきすらしていた。



 その瞬間。
 彼のトリスタンは、予想外の方向からの爆発と振動に、揺さぶられる。

 トーク関連は倉庫から一向にこちらに収監される気配がないのですが、そこで昔「ロイエンタールはランテマリオで親友を殺す可能性をきっちり判っていたのかなあ」と書いた事があります。
 これはそれを踏まえてのSSです。まあ、結論出せてないんですけどね。
 つか、この後に続きが考え付かないでもないんですが、もう眠いんで勘弁して。色々まとまったらプロットでも書いて、真っ当に小説にでもしますか。今回のこれ、30分で降りてきて2時間で書き上げた速攻SSなんで…。機会を逃したらいかんと思って、とりあえず書いたんですよ。

 メールフォームで「双璧格好いいです骨太の話ですね」と頂いたのですが、そんな風に評価して頂いた頃に丁度、ロイエンタールがへたれて親友夫婦に振り回される話を2本アップするという非常に間の悪い更新スケジュールになってしまいました。
 そんな彼のフォローの意味合いも込めて書いてみました。ロイエンタールって格好いいはずなんですよ!ねえ!
 えーと、骨太ってこんな感じでいいんですかね?戦場では格好いい双璧を描いていきたいと思います。…「戦場では格好いい」って何だか戦争賛美してるみたいである意味嫌な表現だけど、他意はない。
06/02/25

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