不可思議な冷徹
 私は慌てた風に出て行く内務次官と入れ替わりに、軍務尚書の執務室へと戻った。
 全くあの次官には困ったものだ。どうやって知るのか判らないが、私が不在の時を狙ったかのようにこの部屋を訪れる。ここは内務省ではないのだ。
 それにしても、下らない陰謀を張り巡らせるのは勝手だが、我々を巻き込もうとしているのならば分不相応と言うものだろう。案外、今の冷や汗まみれの有様は、痛烈なしっぺ返しを喰らった証左なのかもしれない。

 無論、私の目の前のデスクに就いている軍務尚書閣下は、相も変わらず無表情を保っている。内務次官が動揺しようが、彼には全く関係がない事である。私のように嘲弄する事もない――少なくとも、表立っては。
 私は閣下に書類を手渡す。ある調査事項に対する報告書や、決裁書などを数種類。閣下はその1枚1枚に目を通していく。左右の眼球運動だけが見て取れる。その他の顔の動きは一切存在しない。
 淡々と文章を追っていく閣下に、私は一礼する。自分のデスクに戻るつもりだったが、一応報告しておこうかと思った。一歩引き、閣下の邪魔にならないようにして、口を開く。

「――司令長官を、先程この軍務省でお見かけしました」
 …反応はない。少なくとも、目に見えて判るようには。相変わらず閣下の義眼は書類を追っている。書類の下部まで読み込んだらしく、書類を持つ手がページを捲ろうとしていた。
 ――どうでも良い事か。ならば、私はそれ以上の事情を話すつもりはない。軽く目礼し、席に就こうとした。

「…珍しい事だ」
 不意に、軍務尚書閣下の声が聞こえた。相変わらず、小さく淡々とした声。
「それで何か。司令長官は私に用か」
「いえ…小官もそう思い、伺いましたが、そうではない御様子で…」
「彼はもう軍務省にはおらぬのか」
「どうやらまだいらっしゃるようです」
「そうか…」
 そこで台詞は途切れた。軍務尚書閣下は書類を1枚捲り、次の書類へと目線を移す。

「閣下」
 私は再び軍務尚書閣下に呼びかける。あまりうるさい行動を取ると、彼に煩わしく思われるだろう。しかし、ここまで語った以上、私は告げておきたかった。
「ミッターマイヤー元帥は、どうも普段と様子が違ったように小官には感じられました」

 私が彼に出会ったのは、この執務室に向かう階段の途中だった。
 今の時期は平和が終わりを告げ動乱を迎えようとしているだけあり、この軍務省もいささか忙しくなってきている。そのため、勤務している軍人も慌しくなっており、人通りも多かった。
 そんな中でも、彼の紅のマントは目立っていた。むしろ、場違いだった。

 ゴールデンバウム王朝では、三長官の席次ははっきりと決まっており、軍務尚書が軍務においては最上位にあった。そのため、司令長官が軍務尚書の執務室に召喚される事は珍しい事ではなかったとされる。
 しかしこのローエングラム王朝では、皇帝親政である。全ての決定は御前会議によって執り行われる。そのため、三長官――統帥本部総長が廃止になった現状では二長官だが――が、業務のためにそれぞれの執務室を訪れるという伝統は生まれていない。
 もっとも、司令長官と元・統帥本部総長とは親友であったから、私用混じりで互いの執務室を訪れる事は多かっただろう。しかし軍務尚書閣下と彼らは、むしろ不仲であった。公務で必要がない以上、司令長官が軍務省を訪れる理由があるはずがなかった。

 私は相手の地位が高かろうが全く萎縮しない「特技」がある。むしろ、場違いな上官がその場に居るという事態は、私の好奇心を刺激してやまない。だから、私は司令長官に声を掛けたのだが…。

 …どうも、様子が変だったのだ。
 明らかに、何らかの衝動に突き動かされているようで…その衝動を懸命にコントロールして激発は抑えている様子ではあったが、衝動に流されている事には変わりがないように思えた。少なくとも、普段の朗らかな彼の印象からは大きく懸け離れていた。ここが、彼にとっての「敵地」である事を差し引いても、だ。
 だから、私は彼の存在を奇妙に思ったのだ。大事ではないだろうが、一応軍務尚書の耳に入れておこうと思ったのだ。

「フェルナー准将」
「…は」
 軍務尚書閣下は書類から視線を上げる事はない。が、私の名を呼んだ。だから、私は黙礼する。
「彼は軍務省に入ってから、卿のみにしか会っていないと思うのか」
「…と仰いますと?」
「軍務省にはそれなりに憲兵が配置されている。彼らは武官であり、不審者を発見する事が責務である。場違いなミッターマイヤー元帥が姿を見せ、しかも不穏な感を見せているとするならば、憲兵が誰何もしよう」

「しかし、只の軍人が入ってきたのならばともかく、相手は元帥閣下ですからな」
 自分を棚に上げるような事を私は口にする。しかし、私が臆さなかったのは彼に対する誰何であって、それ以上の事は流石に無理であるように自己判断してしまう。
 それ以上の事――それこそ、ミッターマイヤー元帥が不穏な動きを見せた時、彼を排除する事が出来る人間が、この帝国軍に果たして幾人存在しているであろうか?
 私には無理だ。彼が本気で殺気をぶつけてきたら私なぞ立ち尽くしてしまうだけであろうし、そもそも彼を排除するために体を張る義務はない――そう考えてしまう辺りが、私が凡人である理由のひとつなのだろう。

「階級としては圧倒的な上官であるから、職業意識が過剰な憲兵ですら誰何は難しいかもしれぬ。しかしそれならば、憲兵は自らの上官に報告する事で、己の責務を果たした事にするであろう」
「上官とは、つまり、ケスラー憲兵総監閣下ですな?」
「この時間、憲兵総監は軍務省に在務している。彼に任せておけば良い…」
 軍務尚書閣下は、壁の時計を見る事無く、そう言った。まるで彼の脳内には時計が仕込まれているようであり、ケスラー憲兵総監のスケジュールを把握していた事には私の発言を予測していたかのようである。

 成程、憲兵総監は、司令長官を止める事が出来る数少ない人間のひとりだろう。彼に任せておけば大丈夫なのかもしれない。
 が、しかし、司令長官は一体何をしに来たのだろう。彼は必死に隠していたが、あの不穏な空気はまるで殴り込みにでも来たような感を抱かせる。

 …いや、私にも、判るような気はするのだ。
 この3週間に起こった出来事、そして皇帝陛下の無事が確認され、司令長官に下されたと言われる勅命――それらを鑑み、更にはこの執務室に入り浸っていたあの俗人。それは、周知の事実であるのだ。
 
 親友が叛旗を翻し、更にはその手で討つ事を定められた、義に篤い人間が成そうとする事と言えば、自暴自棄にも似た「害虫駆除」だろう。
 司令長官は確かに軍務尚書閣下の事をお嫌いなのだろうが、彼は閣下が私欲で軍務を動かしている訳ではない事は判っているのだ。だとしたら、害虫はあれしか居ないだろう――。
 
 そこまで思いを馳せ、私は軍務尚書閣下を見やった。
 あの内務次官の存在は邪魔である事甚だしい。私などは単純であるから、これを機会に司令長官に排除して貰えたなら嬉しい限りである。
 もしかしたら、この軍務尚書閣下も、それを待ち望んでいるのではないか?
 国事犯ルビンスキーとの密談も噂されるラング次官の蠢動を見逃し続け、ロイエンタール元帥を陥れさせた。それに激怒したミッターマイヤー元帥が、ラング次官を殺してしまう。そしてそれを機として使い、ロイエンタール元帥失脚によって力を増すであろうミッターマイヤー元帥をも牽制する――その位の深慮をこの人物は抱いているのではないか?

 残念ながら、冷徹なる義眼には感情は映し出されない。
 だから、私には閣下が何を考えているのか、いつものように全く読めなかった。

 ともかく、この話は終わったのだ。ケスラー憲兵総監に任せておけ――そう閣下が仰った以上、私はそれ以上の事は言わない事にする。
 現実的にもそれが最良の方法である。それ以上を求めようとすれば、私の野次馬根性が染み出してくるだけだ。閣下はその根性をある程度は野放しにして下さるのだが、度が過ぎれば不興を買おう。
 私は自らの机に就いた。今後、色々と忙しくなりそうである。ひとまずは決済書類を片付けていくとしよう…――。

「――ミッターマイヤー元帥は、親友のためならば彼の気性からして激発はしようが、誰かに止められて尚それを実行するような愚か者ではあるまい…――」

 そんな、声がした。
 小さな声であったが、それは紛れも無くオーベルシュタイン元帥の声質であった。先程とは違い、少々距離としては遠ざかってしまっていたが、私にはしっかりと聞こえた。
 が、どうも私に対して返答を期待するような代物ではないようだ。だから私はこの発言に対し、口を挟む事はしなかった。ちらりと閣下の顔を見る。相変わらずの無表情であり、書類は最後の1枚となっていた。

 閣下の発言が本心であるならば、やはりミッターマイヤー元帥がラング次官を殺害する事を望んではいないのだろうか。閣下にしては珍しく――同僚を思いやっている、とでも言うのだろうか?
 私は、閣下と彼は「元帥」と言う同じ地位にある以上、僚友というよりも政敵と見なしかねないと思っていた。現に、ロイエンタール元帥への対応は、その通りであったはずだ。だから、この閣下の言質が、不思議でならない。
 これから行われるであろう出征は、ミッターマイヤー元帥にとって残酷なものになるであろう事は、軍務尚書閣下もお判りのはずだ。しかし、特に彼を庇うという事はしないのだろう。

 不思議な事だが――現状を変えるべくもない。
 ひとまずは憲兵総監の健闘を祈りつつも、私は野次馬根性を抑えて職務に戻る事にする。
 久々に短編です。SSと呼べる短さ…か?まだ長いか。

 最近買ったDVD24巻見てて思い付いた話。ミッターマイヤーがラングを射殺しに軍務省に殴り込み掛ける訳ですが、直前にラングはオーベルシュタインの執務室から出てきて、そこにフェルナーが入れ違うんですよね。
 なら、フェルナーは執務室を訪れる前に、キレる直前のミッターマイヤーに道すがら会ってるんじゃないのか?そう思った事がこの話のきっかけ。

 ついでに言うと、都合よくケスラーが現れた事に対する辻褄合わせも考えてみた結果がこれ。やっぱり憲兵って軍務省所属なのかね。だとしたら、憲兵総監も軍務省に詰めてるもんなのかね…とか。

 ランテマリオ終結時の「口数が多くなった」オーベルシュタインからも判りますが、彼にとってミッターマイヤーって何だったんでしょうね。ロイエンタールみたいに危惧する野心を感じなかったようですが。野心が無ければ、彼にとっては対策を取る事もなかったのかな。
 きっちりミッターマイヤーの心情を言い当てている辺り、気持ちを理解していたようですね。それは微かな友情だったのか、それとも人間心理を理解していただけなのか。全くの謎です。
 でもあの台詞、ミッターマイヤー本人が聞いたらどう思うんだろうなーとは考えてみたりします。フェルナーがばらす訳ないけどな。
06/01/09

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