神の実在
 俺達佐官クラスの人間を集めた上で、実地で簡単な軍議めいたものが行われた。
 しかし作戦の大勢は将官クラスの軍議において決しているために、作戦の意義そのものに対しては疑問を提示する事は叶わない。せいぜい、この「穴が目立つ作戦」の「穴」をどのようにして塞いでやるか。その点を話し合うに過ぎないし、その「穴」すら認めたがらない佐官も多いのが常である。
 ――卿らはそんなに戦死したいのか。そんな事を言ってやりたいが、俺に出来る事はせいぜい自分の部下を上手く使って全員生還させる事位であるし、その位の事しか俺はする気にならん。自分の身は自分で守るのみだ。

「――大体だ、神に祈らなくてはならぬ戦いなら、始めるなと言いたいのだがな」
 士官用の酒場は俺達が良く使う歓談の場だ。一般兵士も出入りする酒場よりも酒の品揃えも良く、その質も抜群に上だ。そして狙われている客層そのものの人数が少ない分、連日大盛況ともいかない。そのために静かに飲めるのも嬉しい場である。
 もう少し階級を上げたなら、大手を振って個室を利用できる身分になるだろうか。そうすれば、もっと突っ込んだ話題も平気で話せるようになるのだが。
「卿は考え過ぎだ。別に将軍達も大神オーディンを心底頼っている訳ではなく、単に無事を祈願しているだけだろう」
 俺に向かい合わせに座っている蜂蜜色の髪を持つ少佐がそう言った。赤ワインが半分ほど注がれたグラスを片手に苦笑している。そして同じ席についているのは、いつも通り奴だけだ。俺は何故か奴としか酒を飲む気にならない。そんな思いが奴と出会って数年間、ずっと続いている。おそらくは俺の意を容易く汲んでくれる、唯一の相手だからだろう…。
 俺達の目の前のテーブルには、つまみの皿が何枚かと赤ワインのフルボトルが1本。普通に飲めば2時間程度は店員を呼ばなくても大丈夫な酒とその肴の量だろう。我々の話を誰にも邪魔されないと言う事だ。もっとも士官用の酒場ともなれば、その辺りを弁えた店員ばかりなのだが。
「まあ確かにな。少しばかり今回の作戦に苛立ちを覚えているだけだ」
 俺は素直に認めた。おそらくは今回の作戦の正当性とやらが納得出来ないから、それを立案した上層部に噛み付きたいだけなのだろう――と、自己分析する。
 …だと言うのに、グラス片手に奴はまた微笑を浮かべる。
「卿が上の決めた作戦に苛立ちを覚えるのは、今日に始まった事ではないからな」
「何だそれは。俺がまるで生来の不満屋みたいではないか」
 俺は眉を寄せた。判ったような発言をする奴に対してそんな台詞を投げつけ、自分もワインを一口飲んだ。一方で、まだ酔うには早過ぎる量だとは思う。
「まあ俺には上の決めた作戦に反抗する権利はないしな。せいぜい自分の部下と、卿の一隊だけはどうにかしてみるかって感じかなあ」
 奴はワイン片手にそんな風に陽気に言った。明るい台詞ではあるが、こいつがそう決めたらそれは現実になるのだから、奴にはそれだけの能力がある。
「それは俺も同じだ」
 俺はそう返して同意した。それは俺が考えていた事と同一であるから。結局は同じ考えを持っている。――この辺りも、俺がこいつと気が合う一因なのだろう。

「――そりゃあ部下全員を生かして還りたいけどさ。そう上手く行かないのが戦争ってものだからなあ…」
 腕時計を見る限りでは1時間程度飲んでいた事になるらしい。最初のうちは今回の作戦について、互いの部隊の連携に関して色々と案を出し合っていたような気もするが…酒が入ると話はすぐにどこかへ行ってしまう。まあ真面目な話は、勤務中に会議室でやるに限る。
 いつの間にかに愚痴めいた話をどちらからともなくやっていたようだ。俺が上への不満を述べたのが先か、それともこいつが部下の扱い方に関して悩みめいた事を言い出したのが先か。
 悩み。――多分、これはそう言った代物なのだろう。
「徴兵された以上、戦死する事も頭の片隅には置いているだろうよ。ましてや士官学校卒の連中なら、最初から戦死も許容範囲と教育で叩き込まれているさ」
「確かに少佐ともなれば権限と一緒に部下の数も格段に増えてしまっているから、そう言った割り切りも必要になるんだろうけどさ」
 中尉時代から思っていた事だが、こいつは部下を「手駒」として割り切れない。だから自分で危ない橋を渡ってしまう。それは彼の美点であるかもしれないが、今後はおそらく欠点でしかなくなるだろう。何故なら――俺はその理由を、口に出して言ってやった。
「今の時点から嘆いていたのでは、卿は艦隊運用など出来んぞ?船が一隻沈む毎に何人死ぬと思っている」
 俺の指摘に対して、奴ははっとしたような表情をしてみせた。そして俯き加減になる。半ば瞼を伏せてしまい、その上に鬱陶しい前髪が落ちる。この表情の多様さに、親しみや感情移入を覚える部下も多いのだろうかとふと思う。
「ああ、そうだよなあ…俺が指示をミスしたら一気に何百人と死んでしまうんだな…」
「卿はミスなどせぬよ」
 露骨に落ち込んでしまうのは、酒が回っているせいか。ともかく酒を飲む手を止めて俯いてしまった奴に対して俺はそうフォローしておいてやる。しかし、根は深いようだ。
「ミスはしないと思いたい。が…」
「…艦隊運用ともなれば、卿が部下を庇う事もそう出来なくなるのだぞ。今のように自分が動けばカバー出来る問題ではない」
 だから、もっと部下を手駒として割り切れるようになれ。
 そこまで言ってしまうべきかは、迷ったので言わないでおいた。おそらくは「部下を自分の手駒として扱えるようになる方がいい」と言う事は、奴自身にも判っているはずだから。俺がわざわざ指摘するまでもない事だし、指摘したからと言って奴の中でそれを消化出来なければどうにもならない。
 部下を踏み台にも犠牲にも出来ないと言うのは、普通の人間としては美点なのがな。俺はそれをある意味羨ましく思う。

「…ミスはしないと思う。しかし戦争は相手あってのものだから、相手が俺以上の力量を持っていたら大変な事になる」
 結局奴はワイングラスに再び口を付け始めたが、少しずつ飲んでいると言う印象だ。酔ってはいないが、酔いに逃げたいと言う行動にも思える。
「卿や俺より上を行く敵か。それは確かに強敵だな」
 そんな敵は滅多にいないだろう。しかし、この広い宇宙においてはその存在を否定出来ない。俺達は少佐とは言え軍全体から見たらまだまだひよっ子であり、そこまで奢る事は出来ない。
 俺がそんな事を思っていると、奴は不意にこんな事を言い出したのだ。
「――それを思えば、神に祈りたくなるのも判らんではない…」

 俺はその発言に、呆気に取られた。おそらくは表情にも出ていた事だろう。
「…何を言い出すかと思えば。ならば、神に祈っている上の連中は、そう言う感情から祈っていると言う事か?」
「いやそうじゃないと思うが…」
 奴はワイングラスをテーブルに置き、片手で髪を掻き上げた。ほのかに明るい店内の照明に蜂蜜色がちらつく。こいつが髪をいじり出すと言う事は、今の時点で考えがまとまっていないという事か。
 確かに、このような情けない発言をするようでは、さぞかし混乱しているのだろう。俺は思わずその迷いを吹き飛ばしてやるべく、強い口調で言い放った。
「ならば卿もそのような頼りない事を言い出すな」
「頼りないかなあ?」
 テーブルに片肘を付き、その手で前髪を掻き上げた状態のまま、奴は俺を見上げた。その姿勢の都合上顔を傾けた状態ではあるが、その瞳には未だに酒精が降りていない。それが俺には意外だった。――酔っていないのにこのような戯言を口走るのか、と思った。
「俺は卿の事を、神頼みまでしなくては戦えない奴とは思いたくはないぞ」
「そうじゃなくてさ…無事に家族の元に帰りたいとかそう言うのを祈願したいけど、そうなるとやはり神なんてものを対象とするしかないのではないかな。俺はオーディンの実在は信じていないし、おそらくは祈っている軍人全員が信じていないと思う」

 ――それは、俺にとって予想外の話の展開だった。何しろ俺はそんな「祈り」を覚えた事がないのだ。自分の身を誰かの元に還すために何かを頼るなど…いや、それ以前に自分の身を必ず還してみせるなど…。
「………そんなものか?家族の元に無事に帰りたいのなら、家族そのものに祈れば良かろう」
「家族にそんな祈りを押し付ける訳にはいかぬだろうし、祈りの対象としては間違っていないか?」
「…さあな。俺には戻るべき家と言うものがないから、良く判らぬ」
 …思わず、一拍の間を置いて応えてしまったが、奴に俺の暗い真実が感じ取られてはいないかと案ずる。
 俺はこいつとかなり近しい関係にあると言っていい。このような「親友」と呼べる状態の付き合いは、おそらくこいつ以外とは出来ないだろう。しかし、そんなこいつにもまだまだ話していない真実はたくさんある。
 「秘密を語れなくて何が親友か」と判った事を言うような馬鹿は放っておけばいい。多分、こいつ自身も俺に語っていない事はたくさんあるのだろうから。「秘密」を共有しなければ作り上げられない「友情」など互いに願い下げだろう。
「卿にも実家があるだろう。両親が健在でなくとも、使用人とかが待っているだろうに」
 どうやら俺の真実を、奴は感知出来なかったようだ。或いは何らかの深い事情があるのかと気付いたとしても、こいつは深く追求してこない。そういう男だ。
 どちらにせよ、俺は普通に応答する事にした。
「俺には出来た使用人達だ。俺が居なくなっても、別の貴族の元で充分に能力を発揮出来るだろうよ」
「いくら使用人とは言え、主人に対してそういう割り切りは出来ないのではないかな。俺は貴族でもなければ大富豪でもないので、使用人を遣う家の出身じゃないけどさ」
「ならば卿にはあれらの事は判らぬのだ」
「…うむ、それには反論出来ぬな」
 奴はまるで軍議の時のように、腕を組んで真面目くさって頷いた。
 それが何だかおかしくて、俺は少し笑った。

 笑ってみた所で何だか気持ちが和んでしまった。だから、俺も神への祈りに対して考えを巡らせてみる。
 それ程長い時間は要しなかった。俺にとってはこれが真実だった。
「――そうだな…俺にとって心底死なせたくないのは卿だが、卿の生存のために神に祈るなどという事は思ってもみなかったな」
「それは俺もそうだなあ。卿も死なせたくない存在には違いないのだが」
 それは、何故だろうか。
 俺はまた考えてみるが、答えにはすぐに行き着く。

 何の事はない。
 神に祈るまでもなく、俺にとっては奴が生き残るであろう事は「事実」だからだ。
 ともすれば、自分が生き残る事よりも確かな事実だ。神の実在を信じる訳ではないが、もし本当に神がいるとすれば、俺のような下らん人間よりもこいつのような能力・人格共に素晴らしい逸材を遺すだろうよ。
 ――とは言えこれを口に出しては、おそらくは真逆の発言でもって返されるのだろうと判っている。こいつはこいつで、俺とは逆の考え方をしているのだろうから。全くもってこれほどまでに自分に価値を置かず、俺などに価値を見出すと言うのも考え物だ………いや、それを言ったらこいつはまた反論するのだろうが。
 まあ、こいつとの付き合いがいつまで続くかは判らぬが、こいつと死に別れるのだけは想像したくないと言うのもあるのだろうな。軍人稼業をやっているくせに「こいつが死ぬ訳がない」とは…多分に互いに願望が大きいのだろう。

 ふとテーブルに目をやると、ワインボトルが殆ど空になっていた。どうやらかなり長い時間、俺達は会話していたようだ。
 明日の仕事に差し支えてはなるまい。それ程酔ってはいないが、そろそろ引き上げる頃合だろう。
 これで黒蜜同盟さんのロイエンタール追悼企画に参加。
 「この何処が追悼だ」とか言われるかもしれませんが、俺にとっては追悼SSです。

 何と言うか、元気な頃のふたりを書きたかったんですよね。その上でふたりの死生観めいたもんを描いておけば、まあ追悼の体裁は整うかなあと愚考した訳です。

 追悼SS書くに当って2本程度没ってるプロットがあるので(ロイエンタール叛乱直後の墓前での某ふたりのSSと、鎮圧後撤収中ベイオウルフ内でのバイエルライン一人称SS…ってこれ本当に追悼かよってラインナップだったんだなどこに転んでも)、そのうち形にしたいと思います。12月はすげー忙しいけど。師走とはよくも言ったもんだ…師匠ではないけど深夜だってのに走り回ってるよ。

 と言うか今同盟さんでの投稿規約読み返したんですが、没ったプロットだと投稿規程満たしてないような気がしました。あの2本、「ロイエンタールの死」がテーマにされてるだけで、双璧いねえもん。没って良かったんだな俺。

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