酔っ払いミュラー
 ビッテンフェルトと一戦交えた後、俺はミュラーも相手する事となった。
 「相手」と言っても真面目に打ち合うのではなく、彼の指導を兼ねての対戦だった。何せ彼のゲームの運び方は、その…どうにもならない代物であるからして。ルールを理解して、ある程度の定石も学んでいると言うのに、何故彼はこう言う打ち方しか出来ないのだろう。

「――卿がやっている事は、我が皇帝がヤン・ウェンリーを迎えようとするのと似ているな」
 我々の背後にはロイエンタールが控えている。片手にワイングラスを持っていてその酒量は結構なものになっている雰囲気だ。おそらくは真面目に我々の対戦に介入するつもりはないのだろう。只、ちょっかいを出して楽しんでいるという風だ。
「そうか?――大体、ヤン・ウェンリーは、陛下の申し出を受ける気になるやもしれんだろう。だからミュラー提督もきっとモノになるさ」
 目の前のミュラーは、先程の俺の一手にまた悩んでいる。だから俺は振り返ってロイエンタールの台詞にそう返してやった。
「ああそうだな。ヤン・ウェンリーは陛下の御心に応えるかも知れん」
 するとロイエンタールはそう返してきた。意外な台詞だった。が、彼は口元だけ笑ってグラスを傾けた。それは彼が確信犯として、あまり宜しくない言動をやらかす際に良く見せる表情だった。
「しかしそれは限りなく低い確率だろう。――つまりはミュラー提督が上達する可能性も、その程度だと俺は言いたいのだ」
 …奴は、案の定、酷い台詞を言ってのけたのだった。
 ――それは言い過ぎだろう。そう俺は口を開こうとした。その瞬間、背後のミュラーの気配に気付いた。
 彼は少し顔を歪めて俺達を見ていた。…少々…いや結構、機嫌を損ねたのではないだろうか。確かにそれだけの発言ではあったろう。普段柔和である彼すら立腹させる程の。
 ミュラーは手元のグラスを掴み、その中身を一気に飲み干した。あくまでも我々に対して何も答えず、只無言で。それは優しい彼に出来る、最大限の抗議だったのかもしれない。

 それからは、普通に酒が進む事となる。大体、酒瓶を1,2本開けた段階でまともにゲームが出来る訳がない。
 メックリンガーのような例外を除くと、酒こそが我々軍人の数少ない楽しみなのだから、基本的に酒に弱い人間はここにはいないだろう。それでも、これだけ飲めば流石にアルコールが回り始めるというものだ。俺自身、気分は陽気なものの脳裏には軽くもやが掛かりつつあるのを自覚していた。
 俺とミュラーが打っている間には、既に他の連中は酒を進めていた。だから俺達以上に酔いが回っているようで、中にはそろそろ潰れてみたり、或いは潰れる前に帰途に着いてみたりする人間もいる。
 先程の表情を思い出すと何となく悪い気がして、俺はミュラーのグラスが空になるとすぐに注ぎ足してやっていた。そしてミュラーも無言でそれに口をつける。機嫌が悪そうな表情は既に掻き消えていたが、いつもの柔和な笑みも発生していなかった。…まあ、酔っ払っているのも理由のひとつだろう。

「――どうした。卿も飲め」
 視界の隅に瓶の注ぎ口が見えたかと思えば、俺のグラスに赤い液体が注がれる。ロイエンタールの仕業だ。
 …誰のせいだと思っているのだ。そう言ってやりたいが、奴が先程の言動を反省する可能性はそれこそヤン・ウェンリーがこちら側の人間になる確率に匹敵するので、俺は何も言わない事にした。ミュラー同様に只グラスを傾ける。奴への抗議方法としては明らかに通用しない代物だろうが。
「…しかし、酔っているようだが」
 注がれたワインをひとまず体内に処分した段階で、ロイエンタールが俺の肩に手を置いた。心配しているのか面白がっているのか、全く判別がつかない。
「どうするのだ今晩。夜も更けたし俺の家に泊まるか?」
「うーんそうだなあ…」
 話を向けられ、俺は額に手をやった。顔は熱を持っていて、おそらくは赤くなっているのだろう。言われるまでもなく、酔っ払っている事は自覚できている。泥酔する前に店を出るべきだ。
 しかしゲームを数戦こなした後に飲み始めた事もあり、夜もかなり更けていた。今から帰宅してもおそらくエヴァは眠っているだろう。帰宅した事で彼女を起こすのも迷惑だろうな…。
「………いや、俺は自宅に帰るよ」
「ほう?」
 考えた末に俺が導き出した答えに、ロイエンタールは意外そうな声を上げた。いよいよ酔いが回ったか、何だか返答するのが面倒臭くなってきた。額にやった手は肘をついていたが、そのまま自分の髪を掻き回した。…ああ、頭まで熱くなっているなと、髪が絡む指から伝わる体温に気付く。
「…酔っ払ったから無人タクシーを拾って帰るよ。心配をかけた」
 我ながら心にもない謝辞を述べたと思うが、自然に口をついて出てきた言葉だと言う事を考慮するならば、これは俺の本心なのだろうか。
 ともかくロイエンタールの方は、俺の選択が意外で仕方ないらしい。更に訊いてくる。
「奥方はもうお休みだろう。無理して帰る事もないのではないか?」
「いや…俺が彼女の顔を見たくなっただけだから。俺の我儘だよこれは」
 アルコールにやられて霞む視界で、ロイエンタールが呆れたような表情をしていた。これは毎度の事なので、大して気にはならない。どうやら奴は俺がエヴァに拘る事が理解出来ない様子だ。

「――…大体ですよ」
 と、背後から声がした。暗く沈んだ声。それはミュラーが発した言葉である事に気付くのに、間が必要だった。それ程に普段の彼の声からは思いもつかない状態で…。ちらりと見るとロイエンタールの奴も意外そうな顔をしていた。こんな彼を見た事がなかったのは、どうやら俺だけではないようだ。
「ミッターマイヤー元帥はご結婚なされてますけどね、女ってのは男を裏切るために生を享けたんですよ」
 ………何だか、何処かで似たような台詞を聞いたような気がする訳だが。
 かと言ってそれは「忘れた」事にしているから、言い触らした訳ではない。と言うかこの台詞の発言者にすら「酔っ払って覚えてない」と答えているから、今振り向いてやる訳にもいかん。
「…そう決め付ける事もなかろう」
 内心驚いているからか、俺の返答も何だか昔と同じ台詞であったような気もする。しかしこれは今現在の本心でもある。自分が、女である妻を愛している以上、そんな事を言われて面白い訳がない。
「いいえ、そうです。私の実体験ですから」
 流石に俺は見上げた。ロイエンタールと顔を見合わせる格好になる。彼には――彼にも、何らかのトラウマがあるのだろうか。女に殺されかけたとか…――。
「私だって…――」
 何かを言いかけて、ミュラーの砂色の頭が前に傾いだ。伸ばされた、それでいて俺とは違ってきちんとまとまった前髪が額に掛かる。そしてそのまま動かない。
「…ミュラー提督?」
 俺は声をかける。が、それに答えたのは微かな寝息だった。
 ………寝てしまったのか。全くもう!

「――で、卿はこれをどうするつもりだ」
「そうだなあ…」
 目の前で潰れてしまったミュラーを眺め、俺は思案する。
「俺は放って帰っても構わんと思うがな」
「まあ、それはそうだが」
 あっさりと放置を推奨してきたロイエンタールに対し、俺は口を濁す。ここは高級士官用のバーなのだから、泥酔客の処置は適切に成されるだろう。もっとも、そんな客に対してはちょっとばかり評判が落ちるだろうが。
「――ミュラーは官舎住まいだったな」
「そうだったと思うが」
「帰宅する際に俺がついでに送ってやるよ」
「…卿は酔っていたのではないのか?潰れてしまうから余計な事はしない方がいい」
「いいよ、何だかもう醒めたから」
 俺はロイエンタールに対して片手を振った。

 結局ミュラーが何を言いかけたのかは判らないままだった。
 が、翌日以降、彼が俺に対して妙に気を遣うようになったようだった。

 挿絵はこちら

 うわ、長え!
 メニューに前々から載ってるのに(そして絵も描いていた)今までアップ出来なかった理由がこれだったり。なかなか書き上がらねえ!要素をぶち込みすぎたか俺!

 ミッターマイヤー一人称。「ゲーム名人戦」の続きで、この後「双璧ポーカー」に続く。
 「ミュラーは酔ったら人格変わるだろうな」とか「中尉時代の手酷い失恋ってどんなんだ」とか「結局彼女の描写なかったよな」とか「パパラッチ属性のくせにそういった自分の重要情報は隠し通した人間だったよな」とか、ミュラーに対して抱いていた事をぶち込んでみたSSです。全然ショートじゃない訳ですが。
 勘違いしないで下さい、これは双璧SSではありません。ミュラーですからね!

 個人的には、中尉時代に手酷く振られた事で女性を嫌悪してたら楽しいなあと思います。スケールが小さいロイエンタール状態。
 しかし、顔も性格もいいはずなのに女性の姿がまるで見えないって事は、ロイエンタールのように来る者拒まず喰っちまって捨てるような嫌悪感ではなく、真剣に「傍に寄り付かれるのも嫌」ってタイプだと。女性に対してはやんわりと拒絶してみせると。

 で、中尉時代の失恋ですが、普通に振られたんじゃないんだよなあ。相手がテロリストとか叛乱軍だったとか、そんな感じなんだろうか。ベタだけど。
 …何だか「転勤で元カノに振られ、今カノには騙された挙句に刺されて重体、いい所は全て上司に持っていかれて、しかも今カノは上司が殺害」と言う別漫画の某さんを思い出した訳です。

 そういう意味では明らかにテンプレ的キャラなので、ミュラーって書き易いなあと感じました。作中設定があまりない割に人気があるのも頷ける。

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